峯吉と岡本健三郎が近江屋を出てすぐに、階下で案内を乞う者がいた。

01霊山min
下僕の相撲取りの雲井龍こと藤吉が応対に出ると、自分は十津川郷士だとの名札を示し、龍馬に取り次ぎを頼む。藤吉がそれを持ち二階に取り次いだ後、階段を下りるのを待って暗殺者は藤吉を一刀両断に斬ってすてる。
藤吉が階段を転げ落ちる音を聞き、龍馬が「ほたえなや」と声をかけてしまい、これにより龍馬がここに居ることがはっきりしてしまう。
刺客は一目散に階段を上り、「坂本先生は・・・」と問いかけると同時に、正面左の慎太郎めがけ「コナクソ」との気合とともに、後頭部を切り込む。
もう一人がその横に居た、龍馬の前頭部を横に切り払うのである。
この時に、部屋にあった屏風に血が飛ぶのである。これが今に残る、暗殺の真犯人を知っている屏風である。
龍馬は、一の太刀で額を横に斬られるが、それでも、床の間の吉行の太刀を取りにいくも、さらに背中から袈裟懸けに二の太刀をあび、さらに上段からの刃に対して鞘ごと防ぐのだが、そのまま打ち下ろされ頭を割られてしまうのである。
この時、懐にはピストルがあったようだが、これを使う暇もなく致命傷を受けている。
慎太郎は、後頭部を斬られ、右腕を皮一枚を残して斬られてしまい、そのほかに十一ケ所も斬られている。
龍馬は殆ど即死だったようであるのだが、最後の言葉は「慎太郎、僕は脳をやられたから、もうダメだ」と言ったというのが、この場に駆け付けた、土佐藩の島田正作、谷干城、陸援隊の田中光顕や薩摩藩の吉井幸輔らの回想に基づいて、後日書かれたものである。
龍馬は絶命し、藤吉は翌日、慎太郎は2日後の夕刻に息を引き取っているのだが、下手人のことは一切話すことなく亡くなっている。
これが、今日の龍馬暗殺の主謀者について喧々諤々の議論をよぶ元になっているのである。
龍馬33才、慎太郎30才、藤吉25才で、11月15日は奇しくも龍馬の誕生日であった。