京一番の繁華街、四条河原町通の交差点から北に200mほど上った左側の、今は回転すしの店がある所に、小さな石碑が建っている。
その石碑には「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と刻まれており、ここが龍馬と慎太郎が暗殺された近江屋があった場所である。

近江屋は醤油商で土佐藩の御用商人で、向かいには土佐藩の藩邸があった。
間口20メートル、奥行50メートルの広さで、母屋の奥に土蔵が三つ並んでいた。
この頃、龍馬は命を狙われていたようで、龍馬を気遣う人は多かったようだったが、土佐藩ではいまだに脱藩者としてよく思わない者も居て、藩邸には入れず、海援隊の本部の「酢屋」も知れ、「近江屋」も知れるところになっていた。

龍馬は風邪を引き裏の土蔵は寒かったので、慶応3年11月14日に母屋の2階に移っている。
これが命を落とす遠因となるのだが、龍馬が潜んだ土蔵は、もしここで襲われた時には、隣の誓言寺に逃げれるように縄梯子が用意されていた。
(今でこそ、石碑の建つ近江屋跡から誓言寺までは、随分離れているのだが、当時は誓言寺の境内は広く、近江屋から誓言寺に逃げることが出来たのである。)
近江屋跡は、
2009年1月には

2010年3月には、コンビニに

そして今は回転すしの店になっているようである。
その石碑には「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と刻まれており、ここが龍馬と慎太郎が暗殺された近江屋があった場所である。

近江屋は醤油商で土佐藩の御用商人で、向かいには土佐藩の藩邸があった。
間口20メートル、奥行50メートルの広さで、母屋の奥に土蔵が三つ並んでいた。
この頃、龍馬は命を狙われていたようで、龍馬を気遣う人は多かったようだったが、土佐藩ではいまだに脱藩者としてよく思わない者も居て、藩邸には入れず、海援隊の本部の「酢屋」も知れ、「近江屋」も知れるところになっていた。

龍馬は風邪を引き裏の土蔵は寒かったので、慶応3年11月14日に母屋の2階に移っている。
これが命を落とす遠因となるのだが、龍馬が潜んだ土蔵は、もしここで襲われた時には、隣の誓言寺に逃げれるように縄梯子が用意されていた。
(今でこそ、石碑の建つ近江屋跡から誓言寺までは、随分離れているのだが、当時は誓言寺の境内は広く、近江屋から誓言寺に逃げることが出来たのである。)
近江屋跡は、
2009年1月には

2010年3月には、コンビニに

そして今は回転すしの店になっているようである。
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