慶応3年9月24日、長崎から小銃千挺を積んだ「震天丸」が、土佐の浦戸湾に着いた。龍馬は5年半ぶりに故郷に戻るのである。

浦戸の港に入ってから5日後に、上町一丁目の実家に立ち戻り、兄権平や乙女姉さん等と対面し、家族内々で談笑し旨い酒を飲み、久し振りにゆっくりとした穏やかな夜を過ごしたのである。

この時に丹中山(たんちやま)にあった坂本家の墓所にも参ったであろうとおもわれるが、
坂本家の墓所は、以前、丹中山の二ヶ所に葬られていたのだが、バブルの波にのまれてしまい、
関係各位の並々ならぬご尽力によって、ここに保存された。
坂本家の墓地をは、永福寺の門前から、江ノ口川上流の斜めに架かる福井橋を渡り、100mほど歩くと『坂本(竜馬)家一族の墓これより上方約100メートル』と刻まれた案内の碑があり、
この道を右にとり、坂を登って少し下ると、坂本家墓所にたどり着く。
そこには21の墓石があり、
墓石は、手前右から、父、八平直足、母である直足、妻の幸、兄の権平直方、権平の妻、
2列目右から、八平直足の後妻(龍馬の義母)伊与、龍馬の養子、直(高松太郎)、直寛の妻鶴井・鶴井の妹、兎美、権平直方の後妻、
3列目右から、権平直方後妻、姉、栄、姉・乙女、祖父・八蔵直澄妻、権平直方の長男・富太郎、
4列目、曾祖父・八平直海、八平直海妻、八平直海の女、祖父・八蔵直澄、直寛後妻、兄権平直方の曾孫土居清一、土居昭夫の21人の霊が眠っている。
そして、後方の墓域外の一角に「坂本栄密葬の跡」の新しい小さい碑が建っている。

浦戸の港に入ってから5日後に、上町一丁目の実家に立ち戻り、兄権平や乙女姉さん等と対面し、家族内々で談笑し旨い酒を飲み、久し振りにゆっくりとした穏やかな夜を過ごしたのである。

この時に丹中山(たんちやま)にあった坂本家の墓所にも参ったであろうとおもわれるが、
坂本家の墓所は、以前、丹中山の二ヶ所に葬られていたのだが、バブルの波にのまれてしまい、
関係各位の並々ならぬご尽力によって、ここに保存された。
坂本家の墓地をは、永福寺の門前から、江ノ口川上流の斜めに架かる福井橋を渡り、100mほど歩くと『坂本(竜馬)家一族の墓これより上方約100メートル』と刻まれた案内の碑があり、
この道を右にとり、坂を登って少し下ると、坂本家墓所にたどり着く。
そこには21の墓石があり、
墓石は、手前右から、父、八平直足、母である直足、妻の幸、兄の権平直方、権平の妻、
2列目右から、八平直足の後妻(龍馬の義母)伊与、龍馬の養子、直(高松太郎)、直寛の妻鶴井・鶴井の妹、兎美、権平直方の後妻、
3列目右から、権平直方後妻、姉、栄、姉・乙女、祖父・八蔵直澄妻、権平直方の長男・富太郎、
4列目、曾祖父・八平直海、八平直海妻、八平直海の女、祖父・八蔵直澄、直寛後妻、兄権平直方の曾孫土居清一、土居昭夫の21人の霊が眠っている。
そして、後方の墓域外の一角に「坂本栄密葬の跡」の新しい小さい碑が建っている。
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