新選組が屯所とした八木邸や前川邸の近くには「壬生寺」があった。

01壬生寺min
律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像(重要文化財)である。
寺伝によれば、正歴2年(991)三井寺の快賢僧都により創建され、古名を地蔵院、宝幢三昧寺などと呼ばれていた。
その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平により復興され、さらに正安2年(1300)円覚上人が、仏の教えを無言劇に仕組んだ、壬生狂言(重要無形民族文化財)を創始し大いに栄えた。昭和37年に本堂が焼失したため、昭和45年に再建された。
また、境内北にある壬生狂言を演じる舞台、大念仏堂(重要文化財)は、安政3年(1856)の特異な建造物である。
当時境内は、新選組が大砲や剣術・馬術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨らの墓塔がある。
池田屋騒動があったと言われる7月16日には、毎年、慰霊供養祭が行われる。
                               出典 壬生寺の駒札

02本堂min
正暦2年(991)に快賢僧都が母の菩提を弔うために建立したとされる律宗(本山は奈良の唐招提寺)の寺院であり、正応年間(1288~92)中興の円覚上人が仏教の教えを優しく伝えるために始めた、大念仏狂言を伝える寺で、今では「壬生狂言」として演じられ継承されている。
本堂は昭和37年(1962)に放火によって焼けてしまい、今の本堂は昭和45年(1970)の再建である。
壬生寺は、沖田総司が子供達と遊んだとされる寺であり、境内では訓練や大砲を撃ったともいわれているが、沖田総司が子供達を集めてひと時の安らぎを過ごした寺として思うほうが、何故か心安らかな感じがする。

03壬生塚min
壬生寺の正門を入るとすぐの右手に阿弥陀堂があり、その後の池に浮かぶ小さな島が、壬生塚と呼ばれるところである。
ここには新選組隊士11名の墓所があり、近藤勇の胸像、遺髪搭などとあわせ、三橋美智也が歌った新選組の歌碑も建っている。
「賀茂の河原に千鳥が騒ぐ、またも血の雨涙雨・・・」と始まるのだが、そんな新選組も、「菊のかおりに葵が枯れる・・・・・変わる時勢に背中を向けて新選組は何処へいく」と歌われるように、時の流れを止めることは出来なかったのである。
近藤勇が下総の流山で捕まり、土方歳三が函館の五稜郭で戦死、その他の人物も夫々に散っていき、天寿をまっとうしたのが永倉新八で、新選組の生き残りと覚られないないように生き、同志の菩提を弔いながら明治の世をどのように思い生きたのであろう。