新選組は、局中法度の掟により粛清された隊士は30人以上と、本来の任務で斬った志士よりも多いのである。
既に八木邸に居た頃から、それは始まっているのだが・・・

01八木邸min
新選組は、芹沢鴨と新見錦、平山五郎、野口健司、平間重助の水戸派と、近藤勇を中心として土方歳三、沖田総司、山南敬助ら試衛館の一派、それに堀内、家里、根岸が率いる一派と三つに別れていたのだが、まず根岸が暗殺され、家里も芹沢と近藤に詰め腹を切らされ、根岸は関東へと逃げてしまい、この一派が早々に潰されてしまう。
そうして芹沢鴨が筆頭局長に座り、近藤と新見が局長に並び、芹沢派と近藤派とが対立するという図式となる。
芹沢は筆頭局長になると、その行いに狂気なるものがあり、他人の妻を寝取り(お梅)、商家に押し入り金の無心をしたりと勝手放題をなしている。
近藤と土方はこの行いに対し粛清を決め、文久3年(1863)9月に、島原の角屋で馬鹿騒ぎをし夜半に八木邸に帰って、奥の部屋で芹沢鴨と愛妾のお梅、平山五郎と馴染みの芸妓・桔梗屋吉栄、少し離れた部屋に平間重助と輪違屋糸里とそれぞれに同衾した寝入りばなを襲うのである。
この日は大雨で暗殺に関わったのは、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助、藤堂平助らだと言われているが確かではない。
近藤らはまず平山を斬り、逃げる芹沢を追いかけて、転んだところを滅多斬りにしたという。
愛妾のお梅も巻き添えになり、首を斬られ亡くなっている。
ここに寝ていた桔梗屋の吉栄はたまたま小用に立ち難を逃れ、輪違屋の糸里も離れたところに寝ており難を逃れている。
糸里と同衾していた平間はいち早く変事を知り、一目散に逃げて、その後の行方は要として分からないのである。
これにより、新選組の結束が強まりのちの池田屋の事変へと向かうのである。
八木邸の部屋の鴨居には当時の刀傷が残っているが、近藤勇の天然理心流は突きが主体の流派で、刀を縦に使うのは少なかったようだが、暗殺者も慌てていたのであろう。
この突き主体の剣術が池田屋騒動の時には有効に働くことになるのだが、この時はまだそれを知るよしもない。