碑文:表「皇国医祖神五条天神宮」
石碑は、松原通西洞院西入にある「五條天神宮」の門前に建っている。

01五條天神宮mid
五條天神宮は、駒札によると、
『祭神として、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。
社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都に当たり、大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請したのが当社の始まりといわれる。
当初は「天使の宮」(天神社)と称したが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。
創社の頃は社域も広く、社殿も広壮であったが、中世以来度々火災に遭い、元治元年(1864)の蛤御門の変で社殿は焼失した。
現在の社殿は近時の再建である。
当社は古来、医薬・禁厭(きんえん:まじない)の神として広く崇敬され、今なお節分には、厄除け祈願のために参詣する人が多い。』
                           出典:【五條天神の駒札】より

02石碑mid
碑文の「皇国医祖神 五條天神宮」とは、祭神の少彦名命は、大国主命とともに国造りを行った神で、古くから医薬や病気治療の神として信仰されてきたことから、少彦名命が皇国(日本)の医薬・医療の祖神(そしん:先祖とされる神)であるとされ、それを祀る五條天神宮が千年以上にわたって、病気平癒や医薬の神様として信仰されてきたのである。
また、「天神」というと、菅原道真公を祀る天神社と思いがちであるが、五條天神宮はもともとは「天使社」や「天使の宮」と呼ばれていて「天神」は「あまつかみ」であり、道真公とは何ら関係はないのである。
神社の近くに「天使突抜」という珍しい地名があるが、これは五條天神宮がかつて「天使社」「天使の宮」と呼ばれていたことから、神社の境内を通り抜ける道が造られ、これを「天使を抜ける道」から「天使突抜」の名が付けられたという。

03鳥居mid
五條天神宮には義経と弁慶にゆかりのある場所で、弁慶が999本の刀を奪い後1本で満願成就の時に出会ったのが牛若丸で、その出会った処が、ここ五條天神の森であったというのである。
京の五條の橋のうえで、大の男の弁慶が牛若めがけて切り掛かったというのが通説だが、実は、この五條天神の森こそが牛若と弁慶が出会った処であり、その森のあとに五條天神宮があるので、この神社のある松原通が義経・弁慶出会いの場所だったのである。
駒札には、
『当社の古名を「天使社」といい、平安朝初期以来お歴史を持ち、上下の尊崇を受けてきた古社である。
「今昔物語」「徒然草」などにも記載が見られるが、その名が著名になったのは、牛若丸と弁慶の最初の出会いが、当社の近辺だったことを記した「義経記」の文とそれに取材した能楽「橋弁慶」からである。
この五条天神に丑刻詣をした弁慶が笛を吹きつゝ歩く牛若を見つけその腰の黄金造の太刀を奪いにかゝる所から両者の争闘が始まり、敗北した弁慶が義経の家来となる機縁は当社に由来する。童謡の「五条橋」は鴨川に架かっていた橋(現松原橋の位置)だが、当社の東側を流れていた西洞院川の橋だという伝説もある。
秀吉によって橋が移されてから、平安朝以来の「五条大橋」の名も消え、東方の松並木から「松原通」となって現在に至る。
             出典:【五条天神宮(義経・弁慶出会いの場所)の駒札】より

京都市下京区松原通西洞院西入天神前町351-2
京都駅から
▼「B2」乗り場から50系統で、『西洞院松原』下車(所要8分)
「西洞院松原」から、すぐ