碑文:表(西)「三善清行邸跡」/左(北)「昭和四十五年三月 京都市」
平安時代の学者・政治家である三善清行(みよしの きよゆき・847~918)の邸宅跡と伝えられる場所で、現在は醒泉(せいせん)小学校が建っている。
松原通から少し南へ、醒泉小学校の校内に、三善清行邸の跡がある。
三善清行とは、かの一条戻り橋での親子対面の話で有名な漢学者、清行の葬儀の列がこの橋を渡ろうとした時に、その子浄蔵が棺に縋ってその名を呼ぶと一時、清行が甦り親子対面が出来たという謂われの、戻り橋の話で有名な漢学者、三善清行の屋敷跡があった処である。
三善清行は、承和14年(847)に生まれ、漢学や政治にすぐれ朝廷に仕えた人物で、延喜18年(918)に亡くなっている。
清行は下級貴族の子に生まれ、学問に励み大学に入って官吏となり、文章博士(もんじょうはかせ)などの要職につき、朝廷の政治にも関わるようになる。
菅原道真と同時代を生き、朝廷では藤原時平と菅原道真との政治的対立にも関わり、道真の九州大宰府への左遷にも一役買っている。
清行を特に有名にしているのは、延喜14年(914)に醍醐天皇に提出した政治についての意見書「意見封事十二箇状」を上奏したことである。
当時の社会は、地方政治や税負担、貴族の生活などにさまざまな問題が生じていて、清行は、長年の経験をもとに、当時の政治の欠陥を鋭く指摘したものである。
この邸宅について、「今昔物語集」には、ここには「もののけ」が出るといい、夜になると不思議なものが現れたが、清行は恐れることなく、「もののけ」に対し道理を説き聞かせ、そのため「もののけ」も清行を恐れるようになり、それ以後、怪異は起こらなくなったという。
しかしなんといっても三善清行といえば、一条戻り橋における蘇りの話が一番に浮かぶのである。
所在地:京都市下京区醒ケ井通松原下る東側(醒泉小学校内)
京都駅から
▼「B1」乗り場から9系統、「C6」乗り場から28系統で、
『堀川松原』下車(所要9分)
「堀川松原」から、徒歩3分


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