碑文:表(北)「加賀藩邸跡」/右(東)「昭和四十三年十一月 京都市」
加賀藩の藩邸は,天明8年(1788)に焼失し、その後の再建である。
明治維新後には京都府知事邸となっていたが、太平洋戦争末期の建物疎開で取り壊され、その跡のこの石碑が建っている。
駒札には、
『この高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代、加賀(石川県)藩の藩邸があった。
藩邸がはじめておかれたのは、江戸初期で、古絵図には高瀬川の橋に、加賀橋の名が残っている。
藩邸には留守居役が詰め、町人の御用掛を指名して、各種の連絡事務にあたった。
加賀藩は江戸時代外様の最大の大名で、百二万七千石。前田家が代々藩主。
幕末の加賀藩は、激動する政局の中で活躍することは少なかった。
5代綱紀(つなのり)は学問芸術を愛好して文治(ぶんち)政治を行った英主で、東寺の古文書を整理するなど京都との関係は深く、この伝統はその後も受け継がれた。
この藩邸は、こうして文化的に京都と加賀を結びつける上に大きな役割を果たした。』
出典:【此付近加賀藩邸跡の駒札】より
所在地:京都市中京区木屋町通御池西南角
京都駅から
▼「A1」乗り場から5系統、または「A2」乗り場から4・205系統で、
『京都市役所前』下車(所要15~23分)
「京都市役所前」から、徒歩3分

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