青蓮院の医薬門をくぐり、本堂への道とは反対の左側に向かうと「植髪堂」がある。
その堂の北側に、親鸞聖人の得度した際の髪の一部を納めたという「親鸞聖人遺髪塔」がある。

01遺髪塔mid
親鸞は承安3年(1173)に生まれ、9歳で青蓮院門主・慈円のもとで得度したという。
その得度の際に剃り落とした髪を、親鸞の童形像の頭部に植え、その像を祀っているのが植髪堂である。
青蓮院には親鸞の出家について三つのものがあり、
植髪堂:親鸞の髪を植えたと伝わる童形像を祀る
遺髪塔:親鸞の遺髪を納めたとされる塔
得度の間:親鸞が得度したと伝わる場所
があり、それぞれに親鸞出家の原点を今に伝えている。

02植髪堂mid
植髪堂は、親鸞上人が9才のとき、慈鎮和尚によって得度したことにより建てられたものであり、駒札によれば、
『親鸞聖人は青蓮院第3世門主慈鎮和尚について得度した。青蓮院の記録によると、親鸞の母が、その時に剃り落とした髪を、張子で造った親鸞の童形像の頭上に植付けて、常に自分の傍に置いていたという。
暫らくの後、この像は青蓮院に永く蔵せられることとなった。
親鸞の教えが弘がるにつれ、この像のことも伝え聞いて礼拝を請う者が数えきれなくなったので、木像を造り、法衣を着せ、当院の末寺のうち一番近くにあった金蔵寺(明治に廃寺とする)の御供屋に安置して誰でも拝めるようにした。
寶暦9年(1759)に熱心な信徒が御供屋の東側に一つのお堂を建て、阿弥陀三尊像をお祀りして、その傍にこの像を安置した。このお堂を「阿弥陀堂」と云い、「植髪堂」とも称えるようになった。
明和4年(1766)には、お堂を華頂山の北丘の後ろに移し、「華頂山阿弥陀寺」と号したかったようであるが、寺号を称することを幕府に許されなかった。
この華頂山のお堂は大変不便であった様で、天明5年(1783)定法寺町(今の神宮道三条上る東側)に新たにお堂を建て移す準備を始めることになったが、経済的に困難が大きかったらしく、年々各地に植髪像の出開帳を行うなどした上、文化8年(1811)正月に立柱、3月に入佛供養が行われた。
このお堂が減相の植髪堂で、その後、現在の地に移るまでに2回の移築を経ている。昭和54年8月に屋根の一部が抜け落ちた為、十ケ月に亘る長期大改修工事を経て現在に至っている。
植髪像を祀る現在のお厨子は寶暦10年に造られたものである。現在は中央に植髪像と共に、元の形に倣って阿弥陀如来像をお祀りしている。又、階下に納骨壇を設置し、ご縁の方々に広くご利用いただくように務めている。』
                           出典:【植髪堂の由緒】より

所在地:京都市東山区粟田口三条坊町69-1
京都駅から
▼「A1」乗り場から5系統または、「D2」乗り場から86系統で『神宮道』下車(所要23分)
「神宮道」から、徒歩3分