碑文:表(北)「此附近 聚楽第跡」/右(東)「寄附者 上京第十一学区内有志者」/左(西)「大正四年十一月建之 京都市教育会」

01聚楽第(1)mid
聚楽第は、天正14年(1586)豊臣秀吉が平安京大内裏跡の内野に造営した屋敷で、九州征伐を終えた秀吉が大坂より移り政治を司り、豊臣政権の政治・外交の中心となった。
建物屋敷は、公家文化を取り入れ、武家の権威と朝廷文化が融合した桃山文化を代表する優雅な造りで、金箔瓦や豪華な装飾が施され、壮麗さは天下一といわれた。
北は元誓願寺通,東は堀川通,南は下立売通,西は千本通を外郭とし,内郭には本丸を中心に北ノ丸,南二ノ丸,西ノ丸の曲輪が築かれた。

02聚楽第(2)mid
天正16年(1588)に、後陽成天皇が聚楽第を訪れる「聚楽行幸」が行われ、秀吉は天下統一を成し遂げた権威を天下に知らしめるのである。
天正19年(1591)に、秀吉は関白職とともに聚楽第も甥の豊臣秀次に譲り、聚楽第は秀次の居所となる。
しかし文禄4年(1595)に、秀次が謀反の疑いで失脚し高野山で自害すると、秀吉は聚楽第を徹底的に破壊するよう命じ、聚楽第は跡形もなく破却されるのである。
建物の一部は伏見城へ移され、現在、大徳寺の唐門や西本願寺の飛雲閣などは聚楽第の遺構と伝えられる。
完成からわずか8年でその姿を消し、現在は何も残ってはいないのだが、発掘調査で石垣や堀の跡などが見つかり、聚楽第跡の石碑が建っているのみである。

所在地:京都市上京区中立売通裏門西入南側
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『智恵光院中立売』下車(所要23分)
「智恵光院中立売」から、すぐ