碑文:表(南)「平安宮朝堂院跡」/裏(北)「昭和五十一年八月吉日 協和銀行千本支店新築記念」
石碑は昭和51年(1976)に、協和銀行千本支店が新築された際に建てられたもので、現在は「りそな銀行千本支店」となっている。
りそな銀行は、平成15年(2003)に大和銀行とあさひ銀行(協和銀行と埼玉銀行とを源流とする銀行)が合併して誕生した銀行である。
朱雀大路から朱雀門を入り、もう一つの門である応天門を入ると朝堂院である。
天皇の即位や外国使節の謁見などの儀礼や国事などが行なわれた、平安京の中心的な建物であった。
東西69丈(180m)南北150丈(450m)の大きさで廻廊式となっていた。
朝堂院の北に大極殿があり、度々火災にあい都度再建されたが、安元3年(1177)に大極殿とともに焼けてしまってからは再建されず寂れるままになってしまった
朝堂院の正殿は大極殿でその南には広大な庭があり、左右には十二の朝堂(十二堂とは、昌福堂・含章堂・承光堂・明礼堂・;延休堂・含嘉堂・顕章堂・延禄堂・暉章堂・康楽堂・修式堂・永寧堂などの建物で、それぞれの律令国家の政治を担う官人の座である)が並んでいた。
朝堂院では、即位式、元日の朝賀、大嘗祭などの国家儀礼が行われ、律令国家の権威を内外に示す舞台となったのだが、次第に政治は内裏や各官司で行われるようになり、朝堂院は主に国家儀式の場としてへと役割を変えてゆく。
貞観8年に応天門が焼失する「応天門の変」が起こり、朝堂院も火災による焼失と再建が繰り返されるのだが、安元3年(1177)の安元の大火、大極殿とともに焼失した後は再建されず朝堂院は歴史の舞台から姿を消すのである。
『朝堂院は八省院とも呼ばれ、天皇の即位や外国使節の謁見など、さまざまな儀礼や国事の行われるところで、朝政の中心の場であった。
宮城の正面の朱雀門を入ったところに位置し、北は中和院、西は豊楽院、東は太政官や明部省などの官衙(かんが:役所)に接していた。
その規模は、東西60丈(180m)南北150丈(450m)で、全体が回廊で囲まれていた。
正面には応天門があり、両翼に栖鳳(せいほう)・翔鷲(しょうらん)の二楼が建ち、応天門を入ると左右に朝集堂があった。
さらに会昌門を入ると、大礼の際に諸司宮人の列した十二堂が建ち並び、正面の一段高い龍尾壇の上には左右に蒼龍・白虎の二楼を従えて、朝堂院の正殿である大極殿がその威容を誇っていた。
東西十一間・南北四間の規模を有する大極殿は、緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱の並ぶ華やかな殿堂であった。
朝堂院は、平安京造都開始の翌年の延暦14年(795)にまず大極殿が造営され、次々に整備されていった。
その後数度の火災に会いながらもそのたびに再建されてきたが、安元3年(1177)の大火で全焼し、以後再び建てられることはなかった。
現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたり、昭和53年に平安博物館が発掘調査を行った。
後世の攪乱が著しく、遺構を確認することはできなかったが、大教区殿に関係すると思われる多量の瓦類や緑彩の鵄尾(しび:大棟の両端に付ける瓦)の破片などが出土した。』
出典:【平安宮朝堂院跡】より
所在地:京都市中京区丸太町通千本西入北東
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『千本丸太町』下車(所要23分)
「千本丸太町」から、南徒歩2分



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