碑文:表(西)「此附近平安京大内裏朱雀門址」/裏(東)「昭和廿八年三月建 財団法人京都史蹟会」

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JR二条駅近くの千本通に、石碑が建っている。
ここには、平安京の政治・儀式の中心であった大内裏の正門「朱雀門」が建っていた。
朱雀門は、延暦13年(794)平安京遷都とともに造営され、大内裏南面の中央に位置する格式高い門として、天皇の即位儀礼や外国使節の歓迎などの舞台として使われた。
朱雀門の前からは、平安京の中央を南北に貫き、東の左京と西の右京に分ける幅84mの朱雀大路が南に延びていた。
南は朱雀大路南端にあった羅城門、北は平安宮の応天門や大極殿と一直線上に並んでいた。

02朱雀門址(2)mid
『朱雀門は、平安宮(大内裏)の南面大垣中央に設けられた宮城門である。
柱間は七間(梁間二間)、中央五間に扉が付く二階門で、宮城十二門の中で最も規模が大きい。
朱雀大路に面する平安宮の正門であり、南は平安京の朱雀大路南端にあった羅城門、北は宮城内の応天門や大極殿と一直線上に並んでいる。
平安時代の終わり頃に描かれた国宝「伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)」には、炎上する応天門へ急ぎ駆けつける群衆とともに朱雀門が描かれたいる。
その姿は、壇上積基壇(だんじょうつみきだん)の上に建てられた壮大な瓦葺き朱塗りの門で、五間戸の前面にには階段が瀬設されている。
朱雀門の造営当当初の具体的な規模や、その後の変遷については、発掘調査例がなく不明である。
ただ、千本通りで実施した朱雀門跡推定地における立会調査で、平安時代の整地層が確認されている。
なお、朱雀門の前面は広い儀礼の場となっており、毎年恒例の6月と12月の大祓(おおはらえ)とともに、斎内親王(斎宮)の伊勢群行や大嘗祭(だいじょうさい)などに伴う臨時の大祓などが朱雀門前で行われた。
また、寛弘4年(1007)の藤原道長による有名な金峯山参詣の折にも、土御門第から朱雀門大路に出て祓(身を清める神事)を行い、羅城門(跡)から平安京を出立している。
このほか、承和2年(835)9月には回転式の新型大弩(だいぎ:固定式の大弓)の試し打ちを、朱雀門前から朱雀大路にむけて発射しており、朱雀門前の広さを物語るエピソードとして興味深い。
このように、平安宮の象徴的な門である朱雀門も、承元2年(1208)9月に火災に遭い、翌年再建されたが、構造的欠陥から建歴元年(1211)に自然倒壊し、以後は二度と再建されることはなかった。』
                          出典:【平安宮 朱雀門跡】より

所在地:京都市中京区西ノ京小堀町2-3
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『二条駅前』下車(所要20分)
「二条駅前」から、徒歩5分