文:表(西)「西町奉行所跡」/左(北)「昭和四十三年十一月 京都市」
西町奉行所は二条城西の千本通の、現在は中京中学校のあたりにあった。

01石碑mid
京都町奉行所がおかれたのは慶長5年(1600)で、寛文8年(1668)からは常設となり、東西2か所に設置され,隔月交代で担当し東町奉行所は二条城南の神泉苑西隣に置かれ、西町奉行所は二条城西側の千本通沿に置かれた。

03千本通mid
京都町奉行所は幕末まで続くのだが、幕末には安政の大獄の弾圧を主導したのだが、天誅と称して、文久2年(1862)、尊王攘夷派の志士を弾圧した目明し・猿(ましら)の文吉が土佐の岡田以蔵らによって暗殺され、三条河原に晒される。
また文吉に指示した九条家家臣・島田左近が妾宅(しょうたく)で薩摩の田中新兵衛に惨殺される。
文久2年(1862)9月、安政の大獄に関わった京都西町奉行所の与力・渡辺金三郎と同心・上田助之丞、東町奉行所の同心・森孫六と大河原十蔵を逃すために江戸へ転勤をさせることにしたのだが、江州石部宿(現・滋賀県湖南師)に宿泊していたところを、土佐の武市半平太や長州の久坂玄瑞らが差し向けた25名の刺客によって暗殺されている。
これらの暗殺を重視した幕府は、奉行所とは別に京都守護職を設置し、勤皇の志士を取り締まることになるのである。

所在地:京都市中京区西ノ京北聖町押小路千本角
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『二条駅前』下車(所要20分)
「二条駅前」から、徒歩2分