碑文:表(北)「日本近代医学発祥之地」/右(東)「山脇東洋顕彰/左(西)「昭和五十一年三月」
この石碑の横には「平野國臣外数十名終焉之址」の石碑が立つ。

02平野mid
六角獄舎は、宝暦4年(1754)医学者・山脇東洋(1705~1762)が京都所司代の許可を得て日本で初めて人体解剖(観臓)を行った所でもあり、従来の医学の知識だけでなく、人体を実際に解剖して人体構造を観察した。
この観臓の記録は「蔵志(ぞうし)」として著され、杉田玄白(1733~1817)の『解体新書』を遡ること17年前のことであり、日本における実証医学の出発点であった。
医学が経験や伝承だけでなく、観察と実証に基づく学問へと歩み始めた記念すべき場所であり、山脇東洋が日本で最初の解剖を行った六角牢獄の跡を示すものでもある。

02顕彰碑mid
「殉難勤皇志士忠霊塔」の横に建つ「山脇東洋観臓之地」の碑文には、
『近代医学のあけぼの観臓の記念に
1754年宝暦4年閏2月7日に、山脇東洋(名は尚徳1705~1762)は所司代の官許をえて、この地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった 。
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であった。
この記録は5年後に「臓志」としてまとめられた。
これが実証的な科学精神を医学にとり入れた成果のはじめで、日本の近代医学がこれからめばえるきっかけとなった。
東洋のこの偉業をたたえるとともに、観臓された屈嘉の霊をなぐさめるため、ここに碑をたてて記念とする。』
                       出典:【山脇東洋観臓之地の碑文】より

所在地:京都市中京区六角通大宮西入
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『みぶ操作場前』下車(所要17分)
「みぶ操作場前」から、徒歩5分