碑文(正碑):表(南)「西陣名技碑」/(副碑):表(南)「伊達弥助顕彰碑」
碑文:表(南)「継往開来」と顕彰文が篆刻/裏(北):建碑賛助員・発起人名を記す

01北門mid
北野天満宮の「裏の社」の北にあるのが北門である。
北野天満宮の裏(北側)にあたる門であり、こちらから出入りする人は梅の季節でも少ないのだが、ただ桜の咲く頃には北野天満宮に詣で、この北門から桜の名所である平野神社へと抜ける人が多くなるのだが、その季節以外にはこの門をくぐる人は少ないのだが・・・


02西陣碑mid
北門を出ると目の前に二つの顕彰碑が建つ。
東(右)に建つのが、西陣織の近代化に貢献した、伊達弥助の功績を顕彰する『西陣名技碑』である。
碑文は3代京都府知事の北垣 国道(きたがき くにみち)が書き、漢学者の巌本範冶が揮毫したものである。
駒札によると、
『京都市上京区堀川通寺ノ内上ル天神北町に住み、世々弥助を名乗り織物製造を業とし美術織物の改良進歩に寄与し、特に伊達の鯖織考案など有名にて我国織物業界の名工として大なる功績を残し、明治25年3月20日54歳にて没す。
同28年11月25日有志相語り、その功を顕彰するためこの名妓碑を建設す。』
                        出典:【伊達弥助顕彰碑の駒札】より

03紀行碑mid
その西(左)には京都養蚕の発展に功績があった松永伍作の業績を顕彰する「松永君紀功碑・継往開来碑(けいおうかいらいひ)」が建つ。
駒札によると、
『嘉永6年5月28日福井県今立郡上村に生まれ、明治7年東京新宿農事試験場にて蚕業に学び、明治32年京都蚕業講習所の初代所長となり、蚕業界に寄与した功績は大きく、その功により明治40年12月1日勲五等瑞宝章を受けられ、同41年4月1日56歳にて没す。明治43年有志相謀り継往開来の碑を建てその功績を顕彰す。』
                       出典:【松永伍作氏顕彰碑の駒札】より

所在地:京都市上京区馬喰町(北野天満宮北門前)
京都駅から
▼「B2」乗り場から50系統で、『北野天満宮前』下車(所要35分)
「北野天満宮前」から北野天満宮の境内を通り、徒歩10分