碑文:表(南)「一身殉事 萬戸霑恩」(一身事に殉じ、萬戸(ばんこ:多くの家)恩に霑(うる)ほふ)/裏(北)殉難者17名の名と「琵琶湖疏水工事主任工学博士田辺朔郎建之」/横(東)「従四位谷鉄臣題表 正八位巌本範治記并書」
明治35年(1902)に田邊朔郎が琵琶湖疏水工事殉職者を慰霊するために建立した石碑である。
碑文にある「一身殉事 萬戸霑恩」(一身事に殉じ、萬戸(ばんこ:多くの家)恩に霑(うる)ほふ)は、「一人の人間が命を捧げて事業に尽くしたことで、多くの人々が恩恵に預かり潤う」の意で、詩人谷鉄臣の作にある。
また殉難者碑の後ろには、義経地蔵の一体が立っている。
駒札には、
『平安時代末期、義経(遮那王、牛若丸)は鞍馬山を離れ、平家打倒を胸に秘め金売吉次とともに奥州へ向かう途中、日ノ岡峠に差し掛かりました。
行く手から馬に乗った平家の関原与一ら九人の一団とすれ違った時、一団の一人が誤って泥水を蹴り上げ義経の衣服を汚してしまいました。
謝ることなく通り過ぎた一団の無礼に怒った義経は、九人を切り殺したと伝えられます。(異本義経記)
切り殺された九人の菩提を弔うために村人が九体石仏を安置しました。
また異説では、九人を切り殺した後、我にかえった義経が自分の行為を悔やみ、村人に菩提を弔うよう頼んで旅を続けたとも伝えられます。
九体の内、一体がここに祀られています。
この地はもと九体町と呼ばれていて、花入れには義経大日如来と刻まれています。
蹴上の地名は、この馬の蹴り上げか、力を入れて蹴り上げる「蹴り上げ」が由来と伝えられています。』
出典:【蹴上 義経地蔵の駒札】より
所在地:京都市左京区粟田口山下町
京都駅から
▼京都市営地下鉄烏丸線で、『烏丸御池』乗換(所要6分)
京都市営地下鉄東西線で、『蹴上』下車(所要7分)
「蹴上」1番出口からインクラインに向かい徒歩3分。

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