碑文:表(西)「阿国歌舞伎発祥地」/裏(東)「文化財保護委員長 日本芸術院長 高橋誠一郎書」/台座(北)「昭和廿八年十月 松竹株式会社建之」
四条大橋を渡ると南座がある。
大概は正面の入口からの風景を眺めるのだが、鴨川に面した川端通に南座の楽屋口があり、その横に「阿国歌舞伎発祥地」の石碑が建っている。
表通りである四条通からの南座は折節に目にするのだが、この西から眺める南座もまた違った南座の一面を漂わせている。
駒札によれば、
『慶長8年(1603)この辺り鴨河原において歌舞伎の始祖出雲の阿国が初めてかぶきをどりを披露しました。
この碑は昭和28年11月吉例顔見世興行を前に歌舞伎発祥三百五十年を記念して、松竹株式会社により建設されたものであります。我が国が世界に誇る文化財歌舞伎を日本の至宝として末永く後世に伝えたいという願いが込められております。
碑の文字は、元日本芸術院長・高橋誠一郎氏の筆によります。』
出典:【阿国歌舞伎発祥地の碑の駒札】より
歌舞伎は、慶長8年(1603)に鴨川の河原にて、出雲阿国が「かぶき踊」を披露したのが始まりとされる。
出雲阿国は安土桃山時代の芸人で、「ややこ踊り」を基にして「かぶき踊」を創作したと言われ、これが基となり現代の「歌舞伎」が出来たのだと言われている。
しかし阿国の「かぶき踊」は遊里で踊られ、それが公序良俗に反するとして、江戸幕府により取り締まりの対象となるのだが、宮川町などで「少年歌舞伎」など、男色の踊りとして残り、女役を男が演じることで、今の世に生き残ったのであろう。
鴨川の東、川端通の四条大橋のたもとに「出雲阿国像」が建っている。
台座には、
『かぶき踊りの祖 出雲の阿国 都に来りて その踊りを 披露し都人を 酔わせる』
そばには、
『慶長8年(1603)、出雲の阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきおどり」を披露、関ケ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ絶大な喝采を浴びました。
歌舞伎の先祖といわれている阿国の出生は不祥ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の定舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広まりました。
江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました。
阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、伝説の域を出ません。』
出典:【出雲阿国の説明板】より
所在地:京都市東山区川端通四条下る(南座西側)
京都駅から
▼「D2」乗り場から206系統で、『祇園』下車(所要20分)
「祇園」から四条通を西に、四条大橋手前の左側。(「祇園」から徒歩5分)
▼「A1」乗り場から5系統または「A2」乗り場から4系統・205系統・17系統で『四条河原町』(所要15~18分)
「四条河原町」から四条通を、八坂神社に向い歩き、四条大橋を渡り右側。(「四条河原町」から、徒歩4分)



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