大阪の北浜3丁目に、緒方洪庵が開いた私塾「適塾」の建物が残っている。

適塾は、幕末の天保9年(1838)に、大坂の瓦町に蘭学塾を開いたのが始まりで、弘化2年(1845)に、ここ過書町(現、北浜3丁目)の商家を買い取って、「適々斎塾」とし、門下生には、橋本左内・大村益次郎・福沢諭吉・大鳥圭介・高松凌雲・佐野常民・手塚良仙など、明治維新や明治の世に尽力した人物を、多く排出をしている。
この塾に学ぶものは、これ以上勉強をしようがないという程に勉強をし、塾に1冊しかない蘭和辞書(ヅーフ編オランダ日本語辞典)のある「ヅーフ部屋」は、塾生が先を競って詰めかけ、夜通し灯りが消えることはなかったという。
その適塾から5分ほどの淡路町3丁目の辺りにあったのが専称寺で、勝海舟が海軍塾を始めた所であり、坂本龍馬が勝海舟の門人となり、海軍修行が始まった所でもある。
そこ頃に、姉の乙女に宛てた手紙に「此頃は天下無二の軍学者、勝鱗太郎という大先生に門人となり・・・」そして吉田兼好の徒然草から「達人の見る目は恐ろしきものとや」を引用し、「どうです、自分も教養があるでしょうエヘンエヘン」と書き送っている。

適塾は、幕末の天保9年(1838)に、大坂の瓦町に蘭学塾を開いたのが始まりで、弘化2年(1845)に、ここ過書町(現、北浜3丁目)の商家を買い取って、「適々斎塾」とし、門下生には、橋本左内・大村益次郎・福沢諭吉・大鳥圭介・高松凌雲・佐野常民・手塚良仙など、明治維新や明治の世に尽力した人物を、多く排出をしている。
この塾に学ぶものは、これ以上勉強をしようがないという程に勉強をし、塾に1冊しかない蘭和辞書(ヅーフ編オランダ日本語辞典)のある「ヅーフ部屋」は、塾生が先を競って詰めかけ、夜通し灯りが消えることはなかったという。
その適塾から5分ほどの淡路町3丁目の辺りにあったのが専称寺で、勝海舟が海軍塾を始めた所であり、坂本龍馬が勝海舟の門人となり、海軍修行が始まった所でもある。
そこ頃に、姉の乙女に宛てた手紙に「此頃は天下無二の軍学者、勝鱗太郎という大先生に門人となり・・・」そして吉田兼好の徒然草から「達人の見る目は恐ろしきものとや」を引用し、「どうです、自分も教養があるでしょうエヘンエヘン」と書き送っている。
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