碑文:西「このあたり 北座跡」/北「左 北座通り」/南「右 北座通り」/東「井筒八ツ橋本舗」
所在地:京都市東山区川端通四条上る東側(南座の北側すぐ)
京都駅から
▼「D2」乗り場から206系統で、『祇園』下車(所要20分)
「祇園」から四条通を西に、四条大橋手前の川端通を北に歩く。(「祇園」から徒歩8分)
▼「A1」乗り場から5系統または「A2」乗り場から4系統・205系統・17系統で『四条河原町』(所要15~18分)
「四条河原町」から四条通を、八坂神社に向い歩き、四条大橋を渡り川端通を北に歩く。(「四条河原町」から、徒歩7分)

01たつみ橋mid
江戸時代初期の元和年間(1615~24)四条通を挟んで、幕府公認の芝居小屋(櫓)が、四条通の四条大橋東詰めから大和大路までの通りの南側に三座、北側に二座、大和大路の西側に二座の七座があった。
しかし七座あった芝居小屋(櫓)は、幾度となく焼失を繰り返し、江戸時代中期の宝暦・明和年間(1751~72)には四条通の南(南座)と北(北座)、大和大路の西(西座)の三座となってしまう。
さらに寛政6年(1794)には、西座が焼失し、南座と北座を残すのみとなってしまうのである。
明治25年(1892)に、四条通に電車を通すために道路が拡張にともなって、北座は廃業となり、今は四条大橋東詰南側にある「南座」が残るのみであり、この石碑は北座の跡を記(しる)すものである。

02北座跡mid
北座の駒札には、
『寛文10年(1670)以降、鴨川の西岸に新堤が築かれたことによって、鴨河原の風景は一変した。
河原は「新地」(新造成地の意味)となり、ここに広大な芝居街と茶屋町が出現することになった。
延宝4年(1676)の絵図(祇園社並旅所之図)によれば、この時期すでに東岸の四条通をはさんで、計6軒の芝居小屋が描かれている。
17世紀末の元禄期になると、この芝居小屋は7軒に増加する。18世紀初頭の「京都御役所向大概覚書」によると、四条北側芝居は、井筒屋助之丞、両替屋伝左衛門の所有とあり、さらに南側芝居は、大和屋利兵衛、越後屋新四郎、伊勢屋嘉兵衛の三者が所有者としてあげられていた。
しかし、たびたびの大火で19世紀末には、わずか北側に一軒、南側に一軒となった。その北側の一軒「北座」も、明治26年(1894)四条通拡幅によって消滅した。』
                      出典:【北座跡(この付近)の駒札】より

03南座mid
南座は明治39年(1906)に松竹に買収され、現在の南座は昭和4年(1929)に建て替えられたもので、破風造りの桃山建築を思わせる豪華な建物で、正式には、「京都四条南座」と言い、江戸時代から続く、日本最古の劇場である。
毎年年末に行われる顔見世興行で、役者の名を勘亭流の文字で書いた「まねき」と呼ばれる看板が劇場の入口に掲げられると、京の町に師走訪れたことを感じさせるのである。