土佐の三大奇祭の一つとして、毎年4月の第一土曜日から3日間、若宮八幡宮の祭事として氏子達によって行われるのが「神田祭」で、一名「どろんこ祭り」とも呼ばれる。
長浜の南地、門所、中組、築山、宇賀、日出野、塩谷の各集落ごとに、6年に一度の持ち回りで行われている。
この祭りは、早乙女姿の女性(未婚、既婚を問わず女性では誰でも)が、男性に泥を塗るという祭りで、400年以上の伝統を持つ、豊作祈願の神事である。
その始まりは、一説によると長宗我部氏の時代に、この地に疫病が流行り、これを鎮めるために若宮八幡宮に神田を奉納すると、たちまち疫病は退散したという。
このことにより、民衆は泥を掛け合って喜んだといい、ここから「神田祭」が始まったとも言われ、今も田は日出野にあるというが、現在は若宮八幡宮に神田を移し、神田祭の田として、早乙女により田植えの神事が行われている。
またもう一つの説によれば、関ヶ原の後に土佐の領主となった山内家の二代藩主・忠義公が、長浜の地に検分に訪れて時に、早乙女の投げた早苗が泥をはね、殿様の袴を汚してしまい、供の侍が無礼討ちにしようとしたところ、忠義公は「畦道は民百姓の道である。このような所を歩いていた我々こそ農作業の邪魔になろうというものだ。おおいに農事に励むように」と、その早乙女にお褒めの言葉を掛けたという。
これを見た人々は互いに泥を掛け合って喜んだといい、このことから「どろんこ祭り」が始まったとも言われている。
この祭りは、その年の当該地区の氏子を中心として、神殿にて豊作祈願を行ない、神田にて早乙女建の田植えが始まり、これが終わると早乙女姿の女性達は、そこにいる男性の誰彼かまわず泥を塗り始め、3日間のどろんこ祭りが幕を開けるのである。
男たちはこの3日間、女性たちから逃げようと、あちこちに逃げ回り、川に飛び込んで対岸にと逃げるものもあるが、決して山などの誰も来ない所に逃げるのではなく、いとも簡単に見つかるような所に潜み、追いかけっこを楽しむのだが、最後には捕まって泥を塗られ、どこかの家に男も女も集まって「おきゃく」を開いて、どろんこ祭りの話で盛り上がるのだある。
この泥を塗られると、その年は病気をしないと言われ、老若男女、いや女は除いて皆少しだけ泥を塗ってもらい、一年の無病息災を願うのである。
この3日間は「女天下のどろんこ祭り」と言われ、この時ばかりは女性の天下となるのだが、土佐では活発で賢い女性を「はちきん」と呼ぶのだが、いつも女尊男卑なのである。



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