「はりまや橋」は今までに何度も架け変わっており、「はりまや橋」の周辺には4つの「はりまや橋」が存在している。

01木橋mid
江戸時代から明治41年(1908)まで架かっていた木造の橋を原形に、平成10年(1998)に再現された橋。
『藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋と、富商櫃屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。
当時は、簡素な木造りの橋でした。
橋は、時代とともに幾度か架けかえられ、昭和33年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場します。
翌年、歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットしたことで、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として、全国に知られるようになりました。
ここに架かる木造りの橋は、平成5年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を基に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。』
                       出典:【江戸期はりまや橋の由来】より

02鋳鉄製mid
明治41年(1908)に架けられ、昭和3年(1928)に、高知駅からはりまや橋を結ぶ路面電車の開通に伴い、昭和4年(1929)に架け替えられて、三翠園に移設されていたものを、平成10年(1998)に、はりまや橋公園に再移設された鋳鉄製の橋。
『藩政初期、豪商播磨屋と、富商櫃屋(ひつや)が、互いの往来のために、堀に架橋した木造りの橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。
時を経た、明治41年10月、「はりまや橋」は鋳鉄製の橋に架けかえられます。
しかし、大正末期から昭和の初期、高知駅から南の新道の建設に伴い鋳鉄橋は撤去され「はりまや橋」も時代の変遷にともない、その姿を変化させていきました。
ここに架かる橋の親柱は、架橋当時のもので、長い間心ある人によって保管されていました。
後に、三翠園の庭に設置されているところを、当園のご好意により、ここに提供していただき、架橋当時の姿を復元するに至ったものです。』
                       出典:【明治期はりまや橋の由来】より

03朱色(1)mid 04朱色(2)mid
昭和4年(1929)に鉄筋コンクリートの橋に架け替えられ、昭和25年(1950)に拡幅され石造りの欄干となるが、昭和33年(1958)の南国博覧会の時に、歩道と車道との間に設置されたのが、木造の朱塗りの欄干で、平成9年(1997)に撤去され、はりまや橋公園の地下通路に移設された朱塗りの欄干。
地下通路にはその当時にはりまや橋の写真が残っている。
『この朱塗りの欄干は、昭和32年に南国高知総合大博覧会の開催を祈念して作られたものです。
高知を舞台にした映画・テレビ等にも多く登場し全国に朱塗りの欄干の姿が知られるようになりました。
はりまや橋を訪れる多くの観光客に約四十年にわたって親しまれてきたものです。
現在の石造りの欄干がある場所に設置されていましたが、平成9年に、はりまや橋周辺の再整備に伴い地下広場に一部展示されることとなりました。
なお、この朱塗りの欄干は、昭和四十年二月十五日に改修されたものを展示しております。』
                       出典:【はりまや橋朱塗りの欄干】より

05_石造りmid
昭和4年(1929)に架けられたコンクリート橋で、昭和25年(1950)に拡幅された時に、御影石の欄干が作られ、平成10年に朱塗り欄干が撤去されると、その跡に歩道側にああた石造りの欄干が移設された現在の橋。

と、はりまや橋の姿は変遷しているが、はりまや橋は現在の御影石の欄干よりも朱塗りの欄干の橋が「はりまや橋」なのである。