『月桃の花』(昭和57年(1982)リリース)
作詞・作曲:海勢 頭豊、歌:海勢 頭豊
沖縄のご当地ソングを語るうえで、太平洋戦争の沖縄戦を抜きには出来ない。
ここでは太平洋戦争の沖縄戦について、昭和57年(1982)小学館発行の「昭和の歴史 太平洋戦争」を参照に話を進める。
昭和20年(1965)3月26日に硫黄島が玉砕すると、アメリカ軍(米軍)は大艦隊をもって沖縄の進攻する。
4月1日に沖縄本島中部西側の北谷(ちゃたん)、読谷山(よみたんそん)に上陸すると、北・中飛行場を占領する。
この時に沖縄を守る日本軍は、陸軍第32軍(司令官牛島満中将)8万6,400名と海軍の部隊(司令官太田実少将)8,000名が守っており、その他、沖縄県民男子(17才から45才)2万名を義勇兵として招集し、各部隊に配属している。
そして師範学校や中学校(現在の高校)の男子生徒1,780名を鉄血勤皇隊として、また師範学校女子部や高等女学校などのの女子生徒581名を動員している。
この女子生徒たちが、後に「ひめゆり部隊」といわれ、悲惨な結末を迎えることになる。
ガマと呼ばれる洞窟にひそんだ日本軍の抵抗は大きく、米軍は上陸地点から10Kmほどの首里を占領するのに2ケ月(5月21日占領)かかっている。
この時に首里城の建物ことごとく米軍によって破壊されている。
5月27日に首里から退却した32軍司令部は南の摩文仁の丘にこもり抵抗を続けたが、6月23日に牛島中将が自決をし、にほんぐんの組織的抵抗は終わるのである。
沖縄戦で亡くなった人は、軍人・軍属が8万5,136名、非戦闘員(一般住民。戦闘協力者)が9万4,000名と軍人よりも多いのである。
これには、
一つは、アメリカ軍による虐殺
アメリカ軍の攻撃は、日本軍だけでなく沖縄県民の生活までを破棄しようとした。
「鉄の暴風」と云われた無差別の艦砲射撃や爆撃がそれを物語っている。
そして日本軍と民間人がひそんでいたガマ(洞窟)に、黄燐弾や毒ガス(これの使用は不確化である)を使用し、火炎放射器で容赦なく焼き殺している。
捕虜になった県民を殺し、子供までをも殺したというが・・・(これは語る人もなく真相は闇の中である)
そしてもう一つに、
日本軍による虐殺
久米島では、スパイ容疑と命令に服従しなかったと村民を殺し、渡嘉敷島では住民の処刑と集団自決の強要など、日本軍によって殺害される事案も起っている。
また県民に対し、集団自決を直接・関節的に強要したことである。
これらの出来事は、その時の加害者の資質に委ねるものではなく、日本帝国陸軍という名の帝国主義軍隊のなせるものであり、戦争が作り出した魔性のなせる業(わざ)なのであろう。
集団自決の強要があったのかなかったのか、戦争を体験した人たちがいなくなってゆく中、その真実は闇の中に溶け込もうとしているが、何故このような悲劇が起ったのかを問いかけ、二度とこのようなことを起さないにはと考えることが次代に生きるものの務めではないだろうかと思うのである。


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