『てぃんさぐぬ花』(沖縄県民謡)
沖縄返還(昭和47年(1972)以前の昭和41年(1966)に、沖縄の民謡がNHKみんなのうたで「てんさぐの花」というタイトルで初めて歌われている。

01首里城公園mid
4回目は冬の沖縄に行っている。
この時は、調度次の日が休日で帰りの日を1日ずらして、飛行機出発までの半日で沖縄観光をした。
ホテルでタクシー半日観光の予約し、ホテルまで迎えに来てくれて最後は飛行機の時間に合わせて那覇空港まで送ってくれるというものであった。
正確にどことどこを回ってくれたのかは覚えていなおのだが、首里城とひめゆりの塔に行き、首里城公園で昼ご飯を食べたという記憶がある。

02首里城正殿mid
首里城は、琉球王朝の往生で、初代の白は14世紀末頃に建てられてのではないかと推測されている。
尚巴志(しょうはし)が琉球を統一し、琉球初代の王として首里城を居城とするのだが、首里城は幾たびか火災にあい焼失している。
一度目は、享徳2年(1453)の「志魯・布里(しろ・ふり)の乱」(尚氏の王位争い)で、完全に破壊されている。
二度目は、万治3年(1660)に焼失し11年の歳月をかけ再建されるも、宝永6年(1709)に火災で三度目の焼失をし、正徳5年(1715)薩摩藩の援助で再建されている。
明治になり政府により琉球王朝が併合され沖縄県となる。
四度目の焼失は、太平洋戦争の沖縄戦で、日本陸軍が首里城の下に壕を堀り、32軍の司令部を設置したことで、アメリカ軍から砲撃を受け、建物ことごとく破壊されている。
戦後の昭和33年(1958)守礼門が復元されたのをかわきりに、正殿・北殿・南殿などが復元されている。
自分が見たのはこの時の建物である。
五度目は、令和元年(2019)に火災が発生し、正殿などの建物が焼失している。
現在、正殿の再建が進められていて、令和8年(2026)の完成予定となっている。

03首里城守礼門mid
首里城の第一門は応永元年(1428)に建てられた中山門であるのだが、首里城から遠く不便だったことから、100年後に第二門として首里城近くに門が建てられた。
この門は櫓付きの牌楼で、三間入母屋造重層で、屋根は琉球赤瓦で葺かれている。
これがいまや沖縄のシンボルとなっている「守礼門」である。
守礼門は当初「待賢(たいけん)」の扁額が、後に「首里」の扁額が掲げられていたが、天正7年(1579)、明の皇帝が「琉球は守礼の邦と称するに足りる」と言ったことを受けて、6代・尚永王(1573~1588年)が「守禮之邦」(琉球は礼節を重んずる国である)の扁額を作り、10代・尚質王代(1648~1668年)から常に掲げられるようになったという。
昭和20年(1945)の沖縄戦で全壊し、現在の門は昭和33年(1958)に復元されたものである。