『雨の田原坂』(1950年代発売)
作詞:野村 俊夫、作曲:古賀 政男、歌:神楽坂 はんこ
『あゝ田原坂』(昭和31年(1956)発売)
作詞:高橋 掬太郎、作曲:山口 俊郎、歌:三橋 美智也
『田原坂の美少年』(昭和52年(1977)発売)
作詞:島田 磐也、作曲:船村 徹、歌:村田 英雄
その先は、明治政府の熊本鎮台が守る熊本城であり、2月22日に熊本城への攻撃を始める。
攻める薩摩軍14000、守る鎮台兵は4000で、鎮台側は熊本城籠城をとり、援軍を待つ作戦であった。
薩摩軍は熊本城を強襲するが熊本鎮台の抵抗は強く、城攻略の手掛かりすら掴めなかった。
熊本城を攻めあぐねた薩摩軍は、熊本城を囲いながら植木や木葉、高瀬で政府軍と一進一退の戦いをする。
明治政府は、大成を整えた第3旅団の歩兵連隊を熊本鎮台救援のために、熊本に向け南下を始める。
当時、小倉から熊本へ向かう道は、豊前街道と吉次往還そして、三池往還(大牟田から玉名へ向かい田原坂を通り、植木の味取新町で現在の国道3号線に入り、熊本に向う道)があり、大砲を通せる道が田原坂を越える三池往還であり、政府軍はこの道を確保するため3月4日に薩摩軍が陣を敷いていた田原坂に攻撃を欠けるのである。
同じ頃、吉次峠でも戦端が開かれている。
田原坂は、高瀬から植木に至る標高100mほどの丘陵だが、熊本城を築いた加藤清正が城を守るための要衝とした所で、守るに易く攻めるのに難い地形であった。
「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」と歌われるように、政府軍は田原坂を抜くことが出来ず一進一退の攻防を繰り返し、鉄砲の弾が空中で衝突するほどの激戦が広げられた。
昼間は政府軍の「スナイドル銃(元込式)」が威力を発し陣地を確保するが、夜間に薩摩軍の抜刀切り込みに、政府軍の徴兵兵は逃げ腰となり薩摩軍に奪い返されるという具合であった。
これに対し政府軍は「抜刀隊」を編成しこれに対抗したのである。
抜刀隊は、薩摩憎しの旧会津藩士が多く、薩摩示現流と互角に戦ったという。
この「抜刀隊」を歌ったのが
『抜刀隊』(日本軍歌:明治18年(1885)発表
作詞:外山 正一、作曲:シャルル・ルー
である。
そして3月20日の豪雨の中、政府軍は総攻撃をかける。
薩摩軍は補給も途絶え、銃も旧式の「エンフィールド銃(先込式)」で、雨には使いものにならず、とうとう防御線を突破され植木まで退却を余儀なくされるのである。
この戦で薩摩軍は力を使い果たし、あとは一方的に政府軍に攻め込まれ、9月24日鹿児島の城山にて西郷隆盛が自決し、西南の役は終結するのである。




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