『田原坂』(熊本県民謡)
「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」と歌われる「田原坂」は、西南戦争の激戦地である田原坂を歌ったもので、日露戦争の頃に作られたものだといわれ、大正時代に熊本留吉がレコードに吹き込んだのが最初で、その後、美ち奴、赤坂小梅、山村豊子、新橋喜代美などがレコード化している。
徳川幕府が崩壊し明治の世となり、「四民平等」や「廃藩置県」などのより、武士の時代が終わりをつげるのだが、藩がなくなり県になっても、旧武士階級は明治政府から俸禄が支給されていたのだが、この額が国家予算の4割を占め、国家予算が成り立たなくなり、明治9年(1876)、明治政府は旧武士への俸禄を廃止するのである。
これにより旧武士達は明治政府に不満をつのらせ、各地で反乱を起すのである。
明治7年(1874)「佐賀の乱」征韓論に敗れて下野した江藤新平らが、不平士族を率いて佐賀で起こした反乱。
明治9年(1876)「神風の乱」熊本の敬神党が廃刀令などに反対して起こした反乱。
明治9年(1876)「秋月の乱」福岡の旧秋月藩士らが、政府の政策に不満を持って起こした反乱。
明治9年(1876)「萩の乱」山口県の旧萩藩士が起こした反乱。
などがあり、いずれも平定されている。
明治維新の立役者であった西郷隆盛は「征韓論」(武力で朝鮮を開国させようとする考え)に敗れ、明治6年(1872)の下野し鹿児島に帰るのである。
鹿児島に帰った西郷は、日本を担う若者を育てようと私学校を開くのである。
明治政府はこの西郷の動きを監視し、密偵を送り私学校の動きを探ったり、陸軍省管轄の武器弾薬を大阪へ移そうと画策をする。
これに憤慨した私学校の生徒が政府の火薬庫を襲撃し、政府との対立が鮮明になる。
西郷はこの香道に対し激怒したというが、時の流れは止められず私学校の生徒に担がれるように、明治政府への反旗を翻すのである。
明治10年(1877)2月、西郷率いる薩摩軍は、降る大雪の中3万の兵が鹿児島を出発するのである。


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