熊本には名が知れた三人の歌手がいる。(水前寺清子を入れる4人となるのだが)

八代亜紀(本名:橋本明代)
『愛は死んでも』(昭和46年(1971)発売)
作詞:池田 允男、作曲:野崎 真一、歌:八代 亜紀
01新宿mid
昭和25年(1950)熊本の八代郡金剛村に生れ、九州産交バスにガイドとして入るが、3ケ月で退職し、地元キャバレーで歌っているのがバレて勘当され15才で上京する。
銀座のクラブで歌っている時に、同じクラブで歌っていた五木ひろし(当時は、三谷謙)にプロダクションを紹介され、昭和46年(1971)に「愛は死んでも」でデビューし、昭和48年(1973)の「なみだ恋」がヒットし、以降「舟唄」「雨の慕情」など次々とヒットをとばし、スター街道を進むことになる。
令和5年(2023)12月に、病気で亡くなる。享年73才であった。
芸名の八代亜紀は、朱新地の八代(やつしろ)からとり八代(やしろ)と読み、亜細亜(あじあ)で何世紀も活躍するようにと亜紀と名付けたという。

石川さゆり(本名:石川絹代)
『かくれんぼ』(昭和48年(1973)発売)
作詞:山上 路夫、作曲:猪俣 公章、歌:石川 さゆり
02津軽海峡mid
昭和33年(1958)熊本の飽託郡(ほうたくぐん)飽田町(あまたまち)(現、熊本市南区)に生れ、小学1年のときに、島倉千代子の歌謡ショーを見て、歌手を目指すようになる。
昭和47年(1972)中学3年の時に「ちびっ子歌謡大会」で合格し、ホリプロにスカウトされ、昭和48年(1973)に「かくれんぼ」でデビューするが、花の中三トリオ(森昌子・山口百恵・桜田淳子)の影に隠れ、人気はでなかった。
そんな中、アイドル路線を脱却し、昭和52年(1977)に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、若くして演歌歌手の仲間入りをする。
以降「能登半島」「暖流」「波止場しぐれ」とヒットを続け、押しも推されもせぬ演歌歌手として、今に至っている。
石川さゆりの芸名は、吉永小百合の夫である岡田太郎が「いつまでも美しく清潔であってほしい」との想いで名付けたという。

島津亜矢(本名:島津亜矢子)
『袴をはいた渡り鳥』(昭和61年(1986)発売)
作詞:星野 哲郎、作曲:市川 昭介、歌:島津 亜矢
03球磨川mid
昭和46年(1971)熊本の鹿本郡(かもとぐん)植木町(現、熊本市北区)に生まれ、小さい頃よりコンテスト番組に出演し、小学生のときに「亜矢子のリクエスト演歌」というレギュラー番組を持っていた。
14才で星野哲郎の弟子となり、昭和61年((1986)「袴をはいた渡り鳥」でデビューする。
「愛染かつらをもう一度」や「帰らんちゃよか」など、歌の上手さは定評があり、特にカバー曲は本人が歌うより上手だと言われている。
演歌からポップスまで何んでもこなすのだが、本人は演歌歌手だと言いはっている。