『長崎物語』(昭和24年(1951)発売)
作詞:サトウ ハチロー、作曲:古関 裕而、歌:藤山 一郎

01長崎の鐘mid
この歌は長崎に落とされた原子爆弾により被爆した、長崎医科大学の医師・永井隆博士の著書「長崎の鐘」を元にして、原爆犠牲者の鎮魂と慰霊のために、サトウハチローが作詞をし、戦中に「露営の歌」「愛国の花」「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」などなど多くの軍事歌謡を作曲した古関裕而が戦後、自身への鎮魂歌として作曲をしたものである。
歌詞のなかには原爆のことや戦争を思わせる歌詞は出てこないのだが、聴く者にとっては心揺さぶるものとなっている。

02平和の像mid
広島に原子爆弾が投下された3日後の、昭和20年(1945)8月9日の午前11時2分に、浦上川の河口から3Kmほど上流の浦上の上空500mで原子爆弾が爆発し、長崎市民24万人のうち一瞬にして7万4千人が亡くなり、7万5千人が負傷するという惨劇が起きるのである。
爆心地から700mにあった長崎以下大学も被害を受け、永井葉ケ瀬もここで被爆をしている。
このときに右側頭動脈切断の重症を負うも、被爆者の救護にあたっている。
永井博士は昭和26年(1951)5月1日、長崎大学付属病院で、原子爆弾の被爆による白血病で亡くなっている。享年43才であった。

03浦上教会mid
「召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙 なぐさめ はげまし 長崎の ああ長崎の鐘が鳴る」と歌われるように、永井博士の妻・緑は形見のロザリオを残して原爆の犠牲となっている。
永井博士は、このときの救護活動や破壊された状況、亡くなっていく人達のことを記録に留め、昭和26年(1949)に「長崎の鐘」として出版している。
ちなみに「長崎の鐘」とは、原子爆弾で破壊されたカトリック浦上教会(旧浦上天主堂)の「アンジェラスの鐘」のことで、同年のクリスマスイブの日に瓦礫の中から鐘が見つけられ、今も再建されたカトリック浦上教会で、平和の音色を鳴らし続けている。

ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の長崎のご当地そんぐは、
『長崎は今日も雨だった』(昭和44年(1969)発売)
作詞:永田 貴子、作曲:彩木 雅夫、歌:内山田洋」とクールファイブ である。