長崎というと異国情緒がただよう街だと想像するが、一方では思案橋や丸山といった華やかな風情を持つ街だともいえ、長崎のご当地そんぐは・・・
『思案橋ブルース』(昭和43年(1968)発売)
作詞・作曲:川原 弘、歌:中井昭・高橋勝とコロラティーノ
『長崎ブルース』(昭和43年(1968)発売)
作詞:吉川 静夫、作曲:渡久地 政信、歌:青江 三奈
この二つの歌は、思案橋と丸山という歓楽街を歌ったもので、
「思案橋ブルース」は思案橋の雨の中で別れた女を想いだしている・・・
「長崎ブルース」は、二人の逢瀬を長崎の街と情景を歌い込んだもので、思案橋と丸山を、石だたみや南蛮屏風などを散りばめて長崎を歌いあげている・・・

01思案橋mid
思案橋という名は、丸山遊郭の入口近くに橋があり、多くの人が往き来する橋であった。
特に丸山遊郭への渡り橋でもあったことから、橋の手前で「行こか行くまいか」と思案したということから「思案橋」と呼ばれるようになり、土の橋から木の橋へ、また屋根の付いた木廊橋、そして元の木の橋へと変わり、幾度も架け替えられている。
現在、川は埋め立てられ、道路わきに欄干が残っている思案橋なのだが、その辺りが思案橋と呼ばれ全国でも有数の歓楽街として知られているのである。

02丸山検番mid
「長崎の丸山」は「江戸の吉原」「京の島原」と供に、日本の三大遊郭の一つであった。
寛永19年(1642)に、長崎の遊女屋が長崎の東の丸山に集められたのが始まりで、長崎ならではで、丸山の遊女はオランダ屋敷や出島に出入りすることが許されていた。
全盛期の元禄年間には遊女は400人を超え、小唄に「京の器量に長崎衣裳、江戸の意気地にはればれと、大坂の揚屋で遊びたい」と歌われるほどに、遊女の着こなしは豪華で華やかだったという。
幕末には、坂本龍馬や勝海舟、高杉晋作などが丸山で交流の場として通い、料亭「花月」には龍馬が付けた刀傷が残っている。
明治になり、芸娼妓解放令(明治5年発令)により丸山の遊女は娼妓と名を変え、水面下で身を売ることになる。
しかし昭和33年(1958)に売春防止法が制定され、丸山遊郭の終焉を向かえるのである。