『盛り場ブルース』(昭和42年(1967)発売)
作詞:藤 三郎、作曲:村上 千秋、歌:森 進一
「グラス片手に 酔いしれて 夢のあの日が お酒に浮かぶ ぐちも言います 人形だって 誰がなかせる 中洲 天神 柳町」

01中州mid
福岡の中洲は西日本一の歓楽街で、新宿の歌舞伎町、札幌のすすきのと並び日本三大歓楽街といわれる。
その名の通り那珂川と博多川とに挟まれた中州にある街で、北西から南東に1キロほどの細長い地形となっている。
博多駅からも近く、最寄り駅は地下鉄の「中洲川端」で、博多駅から西に歩いて20~25分ほどの所である。
天神も近く「中洲川端」の次が「天神」である。
中洲には風営法の対象となる「ラウンジ」(クラブやキャバクラ)が軒を並べ、夜の賑わいをみせており、国体道路(国道202号)の南側の中洲一丁目にはソープランドが集まっている。
また那珂川沿いの福博であい橋周辺の遊歩道には屋台が建ち並び、また違う景色を楽しむことが出来るのである。

02天神mid
天神は、福岡にある九州最大の繁華街である。
江戸時代の城下町だった所で、西鉄福岡(天神)駅を中心に、商業施設や福岡市役所などの官公庁、銀行、商社などが集まる、福岡市の中心部である。
天神の名は江戸時代に、この地に遷宮された天神様(菅原道真)を祀る「水鏡天満宮」に由来するという。

03柳町mid
柳町は、慶長6年(1601)関ケ原の戦で戦功のあった黒田長政が、52万石で筑前の国を与えられ福岡藩の初代藩主となり、福岡城を築城する際に遊女達を石堂川(現、御笠川)の河口辺り(中洲の北側)に移したことから柳町遊郭が始まるのである。
柳町の名はここに柳の木が植えられていた訳ではなく、豊臣秀吉が京の萬里小路に初の遊郭を作った時に「柳町」と名付けたことで、遊郭には柳の名を付けるのが通念となり、それに倣ったものだという。
柳町遊郭は明治維新を迎えても此の地にあったのだが、明治36年(1903)に石堂川の対岸の千代の松原に京都帝国大学福岡医科大が開校すると、近くに遊郭があるのは不謹慎だということで、那珂川左岸(現、中央区清川)に移転させられ「新柳町遊郭」として、長崎の丸山遊郭、熊本の二本木遊郭とともにその名を馳せたのである。
その後、太平洋戦争の空襲で焼失をするが、戦後は赤線として昭和33年(1958)に売春防止法が施行されるまで続いたのである。
現在はその跡も段々と無くなってゆき、昔ここに遊郭あったことなど遠い昔のこととなりつつある。