『熟田津に 船(ふな)乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出(い)でな』
(万葉集 巻1―8:額田王)
万葉集は日本で最も古い歌集で8世紀頃に作られたという。
万葉集は、天皇や貴族をはじめ名も無い人まで、幅広い人に詠まれた歌が納められているのだが、その中で温泉地を詠んだものは5ケ所しかなく、その一つが松山の道後温泉である。
その5ケ所は、
道後温泉(愛媛県・伊予の湯)
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(巻1/額田王)
有馬温泉(兵庫県・有馬の湯)
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば 処女(をとめ)の髪の 押しなびく見ゆ」(巻11/作者不詳)
伊香保温泉(群馬県・伊香保の湯)
「上野(かみつけの) 伊香保の御湯(みゆ)に 漕ぎ入りて 祈る命は 妹がためなり」(巻14/東歌)
湯河原温泉(神奈川健・相模の湯)
「足柄の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに」(巻14/東歌)
湯抱温泉(島根県)柿本人麻呂のゆかりの地や、白浜温泉(和歌山県)天皇の行幸にちなんだ歌などがある。
道後温泉は松山市に湧く温泉で、日本三古湯の一つである。
(日本三古湯は、愛媛の道後温泉・兵庫の有馬温泉・和歌山の白浜温泉を言う。)
古くから知られた温泉で、万葉集でも額田王が此の地を詠んだ
『熟田津に 船(ふな)乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出(い)でな』
の歌がある。
この熱田津(にきたづ)が、現在の道後温泉周辺にあった古代の港である。
斉明天皇7年(661)、斉明天皇(女帝)は百済救援のために九州に向かう時に、潮待ちのために熱田津(道後温泉)に2ケ月ほどとどまったときに、額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ歌で、「熱田津で船出をしようと月の出(潮待ち)を待っていると、船出に叶う潮の具合もよくなった、さあ今は漕ぎ(船出)でよう」
道後温泉は、夏目漱石の小説「坊ちゃん」にも「住田温泉」の名で登場している。
夏目金之助(漱石)が松山中学の英語教師として赴任したのは、明治28年(1895)4月である。
漱石は道後温泉の道後温泉本館に足繫く通っていたようで、また正岡子規や高浜虚子らと一緒に道後温泉に浸かっている。
僅か1年で松山を去り熊本第五高等学校に転任をするが、このときの体験が小説「坊ちゃん」を生みだしている。
坊ちゃんの一節に、
「運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人のいないのを見済ましては15畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた。ところがある日3階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。」
とあり、「神の湯」には「坊ちゃん泳ぐべからず」の札が貼りつけられている。
また、
「せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯に運動かたがた出かける。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染まった上へ、赤い縞が流れ出したのでちょっと見ると紅色に見える。」
とあり、道後温泉本館のタオルが紅色はこれに因んでいる。



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