二十四の瞳映画村には、「二十四の瞳」の原作者・壷井栄が愛用した調度品や原稿、数々の初版本などを展示している「壷井栄文学館」がある。

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壷井栄文学館では、メインコーナーで、「二十四の瞳」の原稿を中心に、壷井栄の年譜や数々の文学賞受賞を紹介している。
また「二十四の瞳」が最初に発表された雑誌「ニューエイジ」や、栄が愛用した万年筆、ペーパーナイフ、眼鏡なども展示されている。
そして壷井繁治と栄が住んだ東京の鷺宮のいろり部屋を当時のまま再現されている。
併せて夫である詩人・壷井繁治や作家・黒島伝治の書簡や色紙も展示されており、いずれも小豆島の生れであり、同時代に三人の文学者が活躍していたのである。

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壷井栄は、明治32年(1899)、香川県小豆郡坂手村(現小豆島町坂手)に醤油樽職人の父岩井藤吉・母アサの五女として生れる。
坂手尋常小学校、内海高等小学校を卒業後、村の郵便局、役場に勤める傍ら文学に親しむ。
大正14年(1925)上京し同郷の詩人・壷井繁治と結婚する。
宮本百合子、佐多稲子の力添えで昭和13年(1938)「大根の葉」を「文藝」に発表。
以来「暦」「母のない子と子のない母と」「風」等、約300編にのぼる小説を発表し、新潮社文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、女流文学賞などを受賞。
中でも昭和29年(1954)に木下恵介監督の手で映画化された「二十四の瞳」は一躍有名となり、今日の観光小豆島の盛況の端緒を開いた。
昭和42年(1967)内海町(現小豆島町)名誉町民の称号を与えられた後、同年6月23日没した。享年67歳。

参照:【二十四瞳をたずねてのパンフレット】より