『鳴門海峡』(平成8年(1996)発売)
作詞:吉岡 治、作曲:水森 英夫、歌:伍代 夏子
伍代夏子は、昭和57年(1982)に「星ひろみ」の名で歌手デビューをするが・・・
その後、昭和60年(1985)に「加川有希」と名を変え再デビューするもうれず、昭和61年(1986)に本名の「中川輝美」で、着物姿で演歌に取り組むも鳴かず飛ばずで、そして昭和62年(1987)ンチュリーレコードからソニーミュージックに移籍をし、名も「伍代夏子」と変え「美人演歌歌手」とのキャッチフレーズで「戻り川」を歌い、3曲目の「忍ぶ雨」がヒットし、スター街道を駆け上がることになる。
「鳴門海峡」は伍代の11曲目のシングル曲である。
鳴門海峡は、淡路島西端と鳴門の間の海峡で、淡路の門崎(とさき)と鳴門の孫崎を結ぶ海峡最小幅は1,340mしかない。
太平洋からの流れが紀伊水道で分かれ、一方は大阪湾から淡路島と明石との間の明石海峡を流れ播磨灘へ、そしてもう一方が鳴門海峡を通り播磨灘へと流れてゆく。
この二つの播磨灘に流れ込む潮流の時間差が潮位差を生み、鳴門の渦潮が生じるのである。
大きいもので直径が15mになるものもあり、渦潮を船上から見る観潮船や大鳴門橋の遊歩道では、渦潮が真上から見れれるようになっている。
大鳴門橋が出来るまでは、徳島の鳴門と兵庫の淡路島との間をフェリーボートが運航していた。
車で高知に帰るときは、このフェリーのお世話になっていた。
京都から1号線を走り、守口から阪神高速に乗り神戸線の若宮で降りると、淡路フェリーの須磨港はすぐで、ここから淡路島の大磯港までフェリーで渡る。
明石海峡を渡る40分ほどの船旅である。大磯で降りると淡路島を北から南に1時間半ほどかけて走ってゆく。
阿那賀港で再びフェリーに乗り、鳴門海峡を横切り鳴門の亀浦港まで20分ほどである。
鳴門から徳島まで途中、小鳴門橋を渡り、徳島から国道192号線で池田まで2時間ほど・・・
池田から国道32号線で吉野川に沿って高知まで、大歩危、小歩危を通り2時間ほどで高知に着く。
このころは、守口―若宮(1時間:阪神高速)、須磨―大磯(40分:フェリー)、大磯―阿那賀(1時間30分:淡路島横断)、阿那賀―亀浦(20分:フェリー)、鳴門―池田(2時間)、池田―高知(2時間)と7時間30分を要していた。
フェリーの待ち時間などを入れると8時間から9時間くらいかかっていたように思う。
それが、明石海峡大橋と大鳴門橋が出来たことにより、一変するのである。
阪神高速神戸線は、昭和41年(1966)に京橋―柳原間が開通し、昭和56年(1981)阿波座JC―西宮ICが運用され、全線開通となる。
昭和45年(1970)に須磨から月見山がつながり阪神高速神戸線と第二神明道路がつながることになる。
平成10年(1998)に明石海峡大橋が架けられると、阪神高速から第二神明を通り垂水JCTから明石大橋へとつながり、橋を渡ると淡路島である。
神戸淡路鳴門自動車道は、昭和60年(1985)津名一宮ICから大鳴門橋(この道路が出来たときに架けられる)を通り、徳島の鳴門北ICまでが開通し、平成10年(1998)明石大橋が架かったときに、津名一宮ICから明石海峡大橋を渡り垂水JCTまでが運用され全線開通となる。
鳴門から高松自動車道に入り、板野ICで降りて市街地を走り、藍住ICから徳島自動車道に乗る。
徳島自動車道は、平成6年(1994)藍住ICから脇町ICまでが開通し、平成12年(2000)井川池田JCTと川之江東JCTが開通され高知自動車道とつながる。
川之江からは高知自動車道で、昭和62年(1987)大豊ICと南国ICが開通し、平成4年(1992)川之江JCTと大豊ICが開通し、徳島・松山・高松の各自動車道とつながるのである。
これにより京都から高知まで高速道路を通って帰ることが出来るようになり、明石大橋まで1時間30分ほど、そこから高知まで3時間で、4時間30分ほどで帰れるようになったのである。
だた途中で休憩する時間が年とともに多くなり、実際は6時間ほどかかっているのだが、昔に比べると田舎も近くなったと思う。



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