『豆子郎さん通りゃんせ』(1980年代から流れる和菓子の豆子郎のCMソング)
山口市の名所を数え歌にのせて、1980年代から豆子郎(とうしろう)のCMソングとして流れていて、このなかで「六つ向こうは瑠璃光寺」と歌われている。
岩国から山陽本線で「新山口」で降り、山口線に乗り換えて「山口」まで。
ここからコミュニティバスで「香山公園五重塔前」で降りると、すぐである。
瑠璃光寺は大内家の家老で、周防の守護をつとめた陶弘房の菩提を弔うために、文明3年(1471)に、山口市仁保の地に創建される。
現在、瑠璃光寺のある地には、大内25代の大内義弘が香積寺(こうしゃくじ)を建立するが、応永6年(1399)に応永の乱(室町幕府に対して起した反乱)で討ち死にをし、弟の26代大内盛見(もりあきら)が兄の弔いとして五重塔の建設を始める。
盛見も永享3年(1431)に戦死するが、五重塔は嘉吉2年(1442)に完成をする。
その後、関ケ原の戦いにより周防・長門二国となった毛利輝元が萩に移り、慶長9年(1604)に香積寺が萩に移されたために、元禄3年(1690)その跡地に瑠璃光寺が移って来る。
これが現在の瑠璃光寺である。
応永の乱で戦死した大内義弘の菩提を弔うために、弟の盛見が発願したもので、嘉吉2年(1442)の建立になるものである。
大内文化の最高傑作といわれ室町時代の最も秀でた建築物で国宝に指定されている。
屋外の五重塔では日本で10番目に古く、醍醐寺(京都市伏見区)や法隆寺(奈良県斑鳩町)と並び、日本三名塔と呼ばれる。
高さ31.2m、檜皮葺の屋根で二層に回縁(まわりえん)と高欄がついている。
三層より上には縁と高欄がなく、塔を細く見せひきしまった姿となっている。
初重には心柱が通り、塔では他に例がない円型の須弥壇があり、大内義弘像と阿弥陀如来像が祀られている。


コメント