天橋立を小天橋からぶらりと歩いてみよう。

小天橋(廻旋橋)
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天橋立の入口ともいうべき小天橋を渡る。
『昔は「九世戸の渡し」と呼ばれ、渡し舟があったが、大正12年(1923)に架橋。
通船時に一文字に旋回することから「廻旋橋」の名で親しまれる。
当初は手動であったが、昭和35(1960)年3月に電動化。』
出典:【小天橋(廻旋橋)の駒札】より

昭和天皇行幸の御歌碑と日本三景碑
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        昭和天皇歌碑                日本三景碑
小天橋を渡ると天橋立の松並木の道が続く。
昭和26年11月に昭和天皇が全国を廻られたときに詠まれた歌碑が目に入る。
『「めずらしく 晴れわたりたる 朝なぎの 浦わにうかぶ 天橋立」
昭和26年(1951)11月13日、昭和天皇が戦後の民情ご視察のため、山陰地方をご巡幸になり、当地にご宿泊の際にご下賜いただいた御歌である。
石碑の書は元侍従長故入江相政氏である。』
出典:【昭和天皇行幸の御歌碑の駒札】より
その先に、日本三景碑が建っている。
その後ろに「丹後の天橋立 黒松」の札が架かる。

天橋立石碑と「日本の道100選」顕彰碑
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「特別名勝 天橋立」の石碑と「日本の道100選」顕彰碑が建つ。
『府道「天橋立線」は、昭和62年(1987)8月10日の「道の日」に、建設大臣から日本の特色ある優れた道路と認められ、「日本の道100選」の一つとして顕彰されました。
この府道「天橋立線」は、日本三景の一つ天橋立の中を通る道路であり、周囲の景観との調和を図るため砂利道のまま管理しています。
道路の幅員は3.5mから5.5mで、沿道には大小約6,700本の黒松が続き、白砂にふちどられた天恵の景観を有するとともに、数多くの史跡や物語を秘め、美しい風光を保ち、地元の人々はもとより、先刻的にも多くの人々から愛され親しまれています。』
                  出典:【「日本の道100選」顕彰碑の駒札】より

大天橋
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大天橋を渡り松並木の道を先に、右に天橋立海水浴場があり、更に先に歩くと「はしだて茶屋」がある。

与謝野寛・晶子夫妻の歌碑
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はしだて茶屋の先にあるのが「与謝野寛・晶子夫妻の歌碑」
『「小雨はれ みどりとあけの 虹」ながる 与謝の細江の 潮のさざ波」寛
「人おして 回旋橋の ひらく時 くろ雲うごく 天の橋立」晶子
与謝野寛・晶子夫妻は、寛の父礼巌(れいごん)が加悦(かや)出身ということもあり、天橋立にたびたび足を運ばれました。
昭和5年5月丹後に八泊のうち天橋立に二泊して、寛 四十五首、晶子 六十首の短歌を遺されています。
昭和10年寛逝去後、傷心の晶子が天橋立を訪れたのが昭和15年でして、帰京後、発病し、以後旅をすることもなく昭和17年逝去されました。
最後の吟遊の旅が当地、天橋立でした。
夫妻が多くの歌を遺されたこの天橋立に歌碑を建立することが私たちの責務ではないかと考え、多くの天橋立を愛する人、与謝野夫妻に思いを寄せる人たちのご協力の下に、ここに歌碑を建立する運びとなりました。
寛・晶子夫妻の歌をよみ、お二人を偲んでいただければ嬉しく存じます。』
                      出典:【与謝野寛・晶子夫妻の歌碑】より

知恵の松
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与謝野夫妻の歌碑の近くには「知恵の松」がある。
『一本の松が三又になっていて、三人寄れば文殊の知恵から引用された』

雲井の松
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『雲の合間に座るが如くという意味で、そびえ立つ様を表している』