『天橋立』(平成17年(2005)アルバム五能線に収録)
作詞:木下 龍太郎、作曲:弦 哲也、歌:水森 かおり
水森かおり134曲のうち、歌っていないのは福岡県と徳島県だというが、「ご当地そんぐを投げれば水森かおりに当たる」といっても過言ではないようである。
宮島に行ってから天橋立に行くまでに随分と時間が開いてしまった。
天橋立は京都の北、日本海側の丹後の宮津にある。
京都からは特急「はしだて」に乗り、JR山陰本線で「福知山」に、そこから京都丹後鉄道に乗り入れて「大江」「宮津」を通り「天橋立」まで、約2時間の旅であるのだが、天橋立には列車ではなく車で、京都循環道を走ると2時間ほどで到着をする。
天橋立は日本海の対馬海流が外海(そとうみ)の宮津湾へ運んできた砂と、内海(うちうみ)の阿蘇海に流れ込む野田川の土砂とが長い間時間をかけて堆積したもので、幅20~179m、全長3.6Kmの砂州に多くの松が生い茂り、歩くと1時間ほどかかることになる。
天橋立は、国生みの神である伊弉諾(イザナギ)が地上の伊弉冉(イザナミ)に天から通うために使っていた梯子が、伊弉諾が寝ている間に倒れてしまい、それが天橋立になったという神話に由来しているとも言われている。
天橋立は、
『特別名勝天橋立は、いわゆる大天橋・小天橋・第二小天橋と呼ぶ延長3.6キロメートルの砂嘴(さし:沿岸流によって運ばれた土砂が海岸から細長く伸びて堆積し嘴(くちばし)形になった地形)、知恩寺境内を含む橋立付随地、傘松公園という展望地を総称する。
砂嘴によって宮津湾は二分されて、その内側入海を阿蘇の海という。
丹後風土記によると、その昔イザナギの神の天に通いますはしごが、ある日昼寝をしている間に倒れて橋立となったという。
橋立には神の住み給う奇しき地という神秘的な観念がつきまとっていた。
それに対して松島・宮島とあわせて日本三景ということばには風景を風景としてみる近代的なひびきがある。
貝原益軒は元禄2年(1689)西北紀行において、成相寺坂より橋立を展望して、日本の三景の一とするも宣(うべ)なり、と賞賛している。
天橋立は平安時代以来こんにちに至るまで多くの文学作品の上にその名を残している。
「よさの海の 海士(あま)のしわざと みしものを さもわがやくと 汐たるるかな」和泉 式部
「船をいで 十町が程 踏みたりし 白き真砂子(まさご)の 橋立の道」与謝野 晶子』
出典:【天橋立の駒札】より
小倉百人一首には、小式部内侍(こしきぶのないし:和泉式部の娘)が「大江山 いくの野道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」と詠んでいる。
神が宿る冠島沓島について
『遥拝所の鳥居の先のかなたに浮かぶ二つの島が冠島沓島です。
室町時代の画僧雪舟は「天橋立図(国宝に)」本来ならばこの構図に入らない島を松の右下に描き込んでいます。
それは、この島が天橋立を含む若狭湾沿岸の住民から篤く崇敬され、神宿る特別な島であることを雪舟が知っていたと考えられています。
冠島沓島は籠神社ご祭神の彦火明命(ひこほあかりのみこと)と市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)」が天降り夫婦となった神聖な島として古代から特別視されて来ました。
この島に宿る神様は海を行き交う船をお守りし、人々の暮らしが豊かになるよう見守っておられます。
ご神徳は、縁結び・夫婦円満・家内安全:事業繁栄・技術学問向上・航海安全・開運など広大で、今も人々の祈りが捧げられています。』
出典:【神が宿る冠島沓島について】より





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