『安芸の宮島』(平成21年(2009)発売)
作詞:仁井谷 俊也、作曲:弦 哲也、歌:水森 かおり
水森かおり17枚目のシングル曲である。
水森かおりの歌う「安芸の宮島」には、朱色の大鳥居と弥山が、厳島神社を舞台に失恋した女の情けを歌う。
安芸の宮島には、松島を訪ねた1回目と2回目の間に行っている。
広島でたまたま1日休日が出来たので、広島平和記念資料館と原爆ドームには行ってみたいと思い、広島電鉄(広電)で広島駅から原爆ドーム前まで電車に乗りこの二つを見学した後、日本三景のひとつ宮島を見ようと「広電宮島口」に向かった。
ちなみに広島駅からは、JR山陽本線で「宮島駅口」まで乗り、そこから宮島口桟橋に向い、JR宮島フェリで宮島に行くのが通常ルートなのだが、今回は広電で宮島口に向かった。
ここでJR宮島フェリーに乗ったのか、宮島松大汽船に乗ったのか定かではないのだが、多分、行きは松大汽船で、帰りがJR宮島フェリーに乗ったような気がするのだが・・・
安芸の宮島は、「宮島」と「厳島」の二つの呼び名があり、島の名は「厳島」で古来から神宿る島として崇められてきた。
「厳島」の名は「いつき島にまつれる神」から、「伊都伎島(いつきしま)」とか「厳嶋」とか呼ばれたが、現在は「厳島」という。
「宮島」は、お宮がある島から、いつしか宮島と呼ばれるようになり現在は「宮島」の名で知られている。
その宮島の中心は「厳島神社」で、推古天皇元年(593)に、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)が、海水の満ち引きする現在の地を選んで社殿を建てたのが始まりだとされる。
その後、久安2年(1146)平清盛が安芸守に任官されると、清盛は平家の守護神として仁安3年(1168)、寝殿造の様式を取り入れた社殿を造営する。
清盛の官位が上がると、承安4年(1174)に、後白河法皇、治承4年(1180)に高倉上皇の御幸など、多くの皇族・貴族が参詣をしている。
平家一門が滅びた後も時の権力者により崇拝され今に至っている。
正式な参拝経路は対岸の大野瀬戸から船で海上の大鳥居をくぐって、有浦(ありのうら)湾の奥に位置する社殿に船を着けて参詣するものであったのだが・・・
厳島神社の本殿・幣殿・拝殿・祓殿・廻廊や能舞台など主要なy建物はすべて国宝か重要文化財であり、皇族や貴族などが奉納した美術工芸品などにも貴重なものが多くあり、中でも清盛が奉納した「平家納経」(国宝)は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施され、日本美術史上でも類をみないものである。しゃしん4
海上に浮かぶ大鳥居は、高さ16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は60tで、主柱は楠の木を袖柱は杉の木が使われている。
現在の鳥居は創建時から数えて9代目で、明治8年(1875)に再建されている。
鳥居の根元は海中に置かれているだけで、鳥居の自重で潮の満ち引きにも流されずに立っているのだという。
潮が干いている時は大鳥居まで歩いて行くことが出来、潮が満ちると大鳥居が海に浮かんでいるように見えるという。
宮島観光協会によると、潮位100㎝以下で歩いて行けるといい、潮位が250㎝以上になると浮かんで見えるのだという。




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