『雨の松島』(平成3年(1991)発売)
作詞:荒川 利夫、作曲:古葉 弘、歌:美波 京子
3回目の松島は小雨・・・湾内めぐりの船に乗る。
船は松島の陸を離れ、雨に煙る松島湾へと向かってゆく。
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松島は、濃藍色の海に緑の松が茂った小島が点在し、かの芭蕉も「ああ松島や、松島や」とその景観を見て俳句を作ることが出来なかったという。
松島は牡鹿(おじか)半島に抱かれた仙台湾の中央部のさらに入組んだ松島湾の一帯をいい、東西15Km、南北12Kmの、島・丘・海が渾然となった景観である。
島数は大小260余、島々は白色がかった水成岩で、松の緑が海面に映えてさらなる風情を醸し出している。
松島の島々は、仙台市付近の青葉山・八木山の一端と同じ台地が、河川浸食で細かい谷が出来、のち沈降して海水に覆われた結果、峰だけが海上に突き出し岬となったり、海面に浮かび出て島々となったものである。
それが波の浸食により現在のような奇石が形づくられた。
松島は古くは「塩釜の浦」といい、伊勢物語には「わがみかど六十余国の中に塩竈という所に似たるところなかりけり」とみえ、慶長9年(1604)伊達政宗が五大堂・瑞巌寺・観瀾亭を建てたことで、一躍その名を有名にしたのである。
小倉百人一首には、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)が「見せばなや 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」と詠んでいる。

五大堂
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五大堂は、大同2年(807)坂上田村麿が東征の際に建てた毘沙門堂で、後に慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになる。
いまのお堂は、慶長9年(1904)に伊達政宗が再建したもので、東北地方に現存する最古の桃山建築である。
三間三間、単層宝形造本瓦葺で、堂四面の蟇股(かえるまた)には方位に従って十二支の彫刻が施されている。
秘仏の五大明王像は、五代藩主伊達吉村が500年ぶりに開帳した1,700年代以降、33年に一度開帳され、次回2039年に開帳される予定である。
伝えでは、 慈覚大師円仁が五大明王像を安置したところ、坂上田村麻呂が祀った毘沙門天は、光を発して沖合いの小島に飛び去り、その島は毘沙門島といわれるようになったという。
また島をつなぐ橋は、橋桁の間が空いており、下の波が見えるのことから「すかし橋」と呼ばれている。
昔は松の丸太だけの橋だったといい、ここを渡れば縁が結ばれるといわれ「縁結び橋」とも呼ばれる。