『原爆を許すまじ』(昭和29年(1954)うたごえ運動)
作詞:浅田 石二、作曲:木下 航二
『一本の鉛筆』(昭和49年(1974)発売)
作詞:松山 善三、作曲:佐藤 勝、歌:美空 ひばり

01原爆ドーム(1)mid
原爆を許すまじは、
「ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に 今は白い花咲く・・・われらの街に」
「ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地覆い 今は空に陽もささず・・・われらの空に」
「ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく 今は舟に人もなし・・・われらの海に」
「はらからのたえまなき 労働にきずきあぐ富と幸 今は全てついえさらん・・・世界の上に」
「・・・」は「ああ許すまじ原爆を 三度(みたび)許すまじ原爆を」が繰り返される。
と歌われる。
この歌が作られた背景は、昭和29年(1954)、アメリカが太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、海中の珊瑚を瞬時に砕き「死の灰」と呼ばれた放射能を含んだ灰を降らせたのである。
たかまた近くにいた焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、乗組員23人が救世放射能症に罹り、無線長が亡くなってしまう。
この出来事で、広島と長崎をもって三度(みたび)許すまじ原爆をとも思いを歌に込め、この歌が作られたという。
昭和30年(1955)の原水爆禁止世界大会でこの歌が歌われた。

02原爆ドーム(2)mid
一本の鉛筆は、
あなたに 聞いてもらいたい/愛をおくりたい
あなたに 読んでもらいたい/夢をおくりたい
あなたに 歌ってもらいたい/春をおくりたい
あなたに 信じてもらいたい/世界をおくりたい
一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く/戦争はいやだと私は書く
一枚のザラ紙があれば 私は子供が欲しいと書く/あなたをかえしてと私は書く
一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く/人間のいのちと私は書く
と歌われる。
この歌は、昭和49年(1974)、第1回広島平和音楽祭への出演を快諾した美空ひばりが「一本の鉛筆と一間のザラ紙があれば、一人でも反戦の意思を届けられる」との思いを込めてこの音楽祭で歌った歌である。
それから14年後の昭和63年(1988)、第15回広島平和音楽祭に出演をする。
その年の4月に東京ドームのこけら落としとなるコンサート「不死鳥/美空ひばりinTOKYODOME」を命がけで行っている。
音楽祭ではこの歌を歌い切り「来てよかった」と微笑んだという。
その翌年6月24日、52歳でこの余を去っている。

03慰霊碑mid
広島市の平和記念公園の中、広島平和記念資料館と原爆ドーム(旧:広島県産業奨励館)を結ぶ直線上に「原爆死没者慰霊碑」があり、石碑前面には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。