岡山(津山)のご当地そんぐに「男はつらいよ」を取り上げたのだが、寅さんといえば東京の柴又、帝釈天で産湯を使った江戸っ子であり、ここにご当地そんぐとして取り上げるのはおかしいと思われだろうが、実は「男はつらいよ」の48作目の始まりがここ津山の地なのである。
寅さんは日本全国廿浦浦を訪ねているのだが、この48作目が最期の作品であり、その最期のロケ地がここ津山なのである。
ゆえに、この地のご当地そんぐとして「男はつらいよ」を取り上げたのである。

01津山mid
「男はつらいよ 寅次郎紅の花」での津山のシーンは、泉の結婚式で式場に向う泉の車を、満男がレンタカーで塞ぎ後退をさせ、花嫁の後退は縁起が悪いと式は中止になる。
満男は警察に事情聴取され、そのまま岡山からブルートレインに乗り、鹿児島の奄美大島に向かうという冒頭のシーンでロケ地として使われた。
そのロケ地跡に「寅さんロケ地 最終作(第48作)男はつらいよ寅次郎紅の花」の石碑が建っている。
「寅次郎紅の花」のラストシーンは、阪神淡路大震災で破壊され復興登城の神戸の町に、寅さんが訪れ「九郎したんだなあ。本当にみなさんご苦労さんでした。」という台詞で終わっている。これが昭和44年(1969)から平成7年(1995)まで48作続いた寅さんの最期の言葉となったのである。

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ここからは余談だが、「男はつらいよ」で47都道府県のうち、寅さんが訪ねていない所が2つあるのはご存じだろうか。
それは富山県と高知県である。
実は「男はつらいよ」は50作まで撮る予定で、49作目は「男はつらいよ 花へんろ」を田中裕子をマドンナに高知県をロケ地としてクランクインするようになっていたのだが、寅さんの渥美清が平成8年(1996)に68歳で鬼籍に入ってしまい、「子供をおろした女性の兄が、その子の父親が寅さんではないかと疑い、それから寅さんがこの兄妹の後見人になり、また泉と満男を結婚させる」というストーリまで考えられていたのだが、寅さんの代役は不可能で、寅さんが高知県を訪ねることはなかったのである。

03柴又mid
また最終作(50作)では黒柳徹子をマドンナに迎え「寅次郎はテキ屋を引退し、晩年を幼稚園の用務員として、子供達と遊んでいるうちに亡くなり、町の人が思い出のために地蔵を作る」という構想があり、ロケ地は富山県にする予定だったという。
この2作が作られていれば、寅さんは日本全国を訪ねたことになったのに・・・
「男はつらいよ」はテレビドラマとして、昭和47年(1968)10月から放送され、翌年3月の第26話で、奄美大島に行った寅次郎がハブに噛まれて亡くなるという結末で終わるのだが、視聴者から抗議の電話が相次ぎこれが映画化のきっかけとなるのである。