津山は森忠政の築城とともに発展した城下町である。
その城下町を少しだが歩いてみよう。

城東の歴史町のおいたち
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『城東地区は、丹後山南麓の広範な地域に位置し、江戸時代初期に森忠政によって作られた津山城下町の一角である。
中世には林田宿と呼ばれ繫栄しており、慶長8年(1603)頃には林田町と呼ばれる在町であった。
城下町づくりに当たり、この地区の商人を中央部に移住させている。
城下の整備によって1630年頃までに上之町の武家屋敷地と数ケ寺から成る寺院街、出雲往来に沿った六つの町人町が形成される。
上之町は町人町の北側に隣接して東西に連なり、慶長初年に成立したと推定される。
南北に十六の小路があり、美濃屋小路・美須屋小路・国信小路・関貫小路と呼ばれる。
町人町は、慶長所ねんに、橋本町・林田町・勝間田街が出来上がり、当初は勝間田町が城下の東端であったが、その後中之町・西新町・東新町がつくられ城下に編入される。
街名も当初には勝間田街が林田勝間田街、中之町が林田足軽町、西・東新町が林田新町と呼ばれていた。』

橋本町
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『宮川大橋の東詰に屈曲して南北に長く形成された町人町で、町の名はこの橋に由来する。
元和3年(1617)頃には、林田町や勝間田町と共に、林田町と呼ばれていたが、その後三町に分かれて、それぞれの町が成立した。
町を抜けて宮川に達する屈曲した小さな道筋が北側にもあり、そこは袋町と呼ばれていた。
江戸時代の初期には、この袋町から対岸に宮川橋が賭けられており、橋が南に架け替えられることによって現状の橋本町ができたという伝承がある。』

林田町(はいだまち)
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『宮川より東に広がる林田郷では、城下町の発展につれて、東に延びる街道沿いに街並みが形成され、元和3年(1617)には(旧)林田町(後の橋本町)、林田町、勝間田町ができ、やがて三つの町名に分かれたという。
街道筋とは別に、林田町から屈曲して宮川に達する小さな道筋があり、そこは袋町と呼ばれていた。
そして、江戸時代の初期には、この袋町から対岸に宮川橋が架けられていたという伝承がある。』

勝間田町と商家
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『最初の津山城主 森忠政は、作州一円から商人を集めて城下町を作らせたが、この町もその一つである。
勝南郡勝間田村(現在の勝田郡勝央町)付近からの来住者によってできた町であるので、その出身村名を町名にしたといわれる。
江戸時代に建てられた町家が今も残り、津山城下町の面影を伝える一帯である。
築城当初は、ここまでが城下町であった。』