山陰本線の全線開通まで最後に残ったのが、香住と浜坂の区間であった。
この区間は山が海にせまり、海岸線に沿って列車を走らせるのは不可能で、現路線のルートを通すか、内陸に迂回するかが検討され、一方は最大鉄橋が、一方では最大トンネルが必須となり一長一短があったが、当時のトンネル技術が未熟だったことから、現在の山陰本線に線路を通す案が採用されるのである。
香住から浜坂へは山越えが必要で、出来るだけ短いトンネルで抜けようと、山の頂きに近い所まで登り、短いトンネルで抜けてしまおうと考えた時に、途中の余部で300mの谷間を越える必要が生じるのである。
この谷間が鎧から余部の間にあり、ここに鉄橋を架けるべく、明治42年(1909)12月に工事が始まり、明治45年(1912)1月に完成し、3月に開通をする。
これが全長310.59m、高さ41.45mの11基の橋脚と23連の橋桁を持つ、鋼鉄製スレッスル橋の餘部鉄橋である。
(スレッスル橋とは、スレッスルは架台のことで、多くの橋脚に橋桁を乗せた構造をいう)
その構造と朱色に塗られた外観が、鉄道ファンのみならず人気を呼び、この鉄橋を見にくる人も多かった。
餘部鉄橋を列車が越えると、山陰地方に足を踏み入れたのだという思いにかられ、日本海の飛沫が感じられた。
その餘部鉄橋も供用から98年がたち、また昭和61年(1986)12月に、回送列車が鉄橋を通過中に、日本海からの風速33mの突風で落下するという事故が発生し、昭和63年(1988)から風速25mから20mで、香住と浜坂間の運転を見合すという規制強化がなされ、場時々列車の運行がされないという事態が起きていた。
そんな中餘部鉄橋を新しく架け替えようとの話が持ち上がり、平成19年(2007)3月に架け替え工事が着手される。
新しい鉄橋が出来るまでは、従来の鉄橋を列車が走るため、新橋梁は従来の鉄橋より7m南(陸側)に寄った所に架けられることとなり、京都から来ると鉄橋手前のトンネルを出てS字カーブを左に、鉄橋を渡り終える頃に右カーブをし余部の駅に着くことになる。
平成22年(2010)に寛政をし、8月に供用が開始されている。
全長310,6m、高さ41,5mで、4基の橋脚と4連の橋桁を持つ、エクストラドーズド橋である。
(エクストラドーズド橋は、塔(橋脚)斜材(ケーブルなど)で橋桁を支える橋だが、斜材の角度が水平に近く、外観的には桁橋に近い)
思うに餘部鉄橋が新しくなってから、山陰本線に乗った記憶がなく、新しい餘部鉄橋は通ってないことが分かった。
松江に行った時は山陰本線でなく、岡山まで新幹線で行き、岡山から伯備線で松江に向かっている。


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