熊野那智神社の参道の長い石段を登ると左に朱の大鳥居があり、ここを潜ると熊野那智大社となり、右には青岸渡寺がある。
山号を那智山といい天台宗の寺院で、本尊は如意輪観音菩薩を祀り、西国三十三所の第一番札所である。
伝えによれば、熊野那智大社がの伽藍が建てられた仁徳天皇の御代(4世紀頃)に、インドの裸形上人が熊野浦に着き那智の滝で修行を重ね開基したといわれ、7世紀の初めに推古天皇の勅願寺となり、生仏聖(しょうぶつひじり)が如意輪堂を建立し、如意輪観音が安置された。
如意輪堂は熊野那智大社と一体となり、熊野権現や那智権現と呼ばれ神仏習合の修験道場となるのだが、織田信長により如意輪堂が焼かれるのだが、天正18年(1590)に、豊臣秀吉によって再建されている。
如意輪堂は熊野那智大社と共に、神仏習合の一大修験道場となるのだが、明治の廃仏毀釈により如意輪堂の寺仏や寺宝は消失し、多くの堂宇が破壊されるが、そんな中で西国三十三所第一番であった如意輪堂は壊されることなく、明治7年(1874)に熊野那智大社から離れ、青岸渡寺と名付けられ如意輪堂が本堂として復興されるのである。
ここから下った那智の浜には補柁落渡海(浄土への往生を願い補柁落山に向い海上へ船出すること)の拠点となった補柁落山寺や熊野三所権現(渚王子)がある。
那智の滝は古来より御神体ちすて信仰されてきた滝で、大雲取連山から流れ落ちる水が多くの滝となっていて、その仲でも那智四十八滝といわれる修行場としての滝の総称を那智の滝と呼ばれていた。
とりわけ「一の滝」は、高さ133m、落ち口(銚子口)の幅13m、滝壺の深さ10mで毎秒1トンの水が流れ落ちている。
滝壺には、不老不死の薬が沈められていると云われ、延命長寿の水として知られている。
現在、那智の滝といえば、この一の滝を思い浮かべる人は多い。
栃木日光の華厳滝、茨城袋田の袋田の滝と共に日本三名瀑のひとつである。
この那智の滝(一の滝)を御神体として祀るのが飛龍神社(ひろうじんじゃ)で、社殿も拝殿もなく直接那智の滝を参拝する。
元々この地には、仁徳天皇5年(317)に熊野那智大社が建立され、後に現在の地に遷ったと伝えられている。
この神社から、那智の滝の正面を望むことが出来、滝の飛沫を身近に感じることが出来る。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の和歌山のご当地そんぐは、
『YAPPA紀州(よさこい総踊り)』(平成22年(2010)発売)
作詞・作曲:ウィンズ平阪、歌:ウインズ である。




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