桜井から電車は大きく左にカーブし北に走り三輪へと向かう。
「三輪」を出ると右にに見えるのが三輪山で、山そのものが信仰の対象であり、麓に「三輪神社」が建っている。
三輪山は、青垣山(奈良盆地を囲む山々)の中で南都部に位置し、標高は467m、周囲16Kmの円錐形の山である。
「古事記」や「日本書紀」には、三諸山(みもろやま)、美和山、御諸岳などと記されている。
古来、大物主大神が鎮まる山として、山そのものが神の山として信仰されている。
三輪山西麓には、大物主大神を祀る大神神社があり、三輪山を神体山として信仰の対象としており、本殿は設けていない。
(大物主大神とは、大国主神が国造りに迷った際に、海の向こうから光り輝く神が現れ、「我を倭の青垣の東の山に奉れば国造りはうまく行く」と言われ、大国主神はこの神を奈良青垣山の一つである三輪山に祀ると国造りが成就したという。
この神が大物主大神だといわれ、三輪山の祭神である。)
三輪山は、一木一草に至るまで神宿るものとされ、特に杉は「三輪の神杉」として尊ばれ、新酒を奉納し三輪山の杉葉で造られた杉玉を戴くのが、後に、造り酒屋の軒先に、新酒が出来たことを知らせるために吊るすようになったという。
万葉集では額田王が、(巻1-17)
「味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや」
反歌(巻1-18)
「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや」と詠んでいる。
三輪山を右に見て、電車は北に、「巻向」「柳本」「長柄」「天理」と、山の辺の道に並行(並行というには少し離れすぎているのだが)して走って行く。
「巻向」は、今では駅員のいない無人駅であるのだが、山の辺の道を途中から歩き始める人は、この駅で降りるようである。
巻向の東には穴師山があり、三輪山と穴師山との間に巻向山がある。
巻向川が、三輪山と巻向山、穴師山と巻向山の渓流を集め、西に流れ初瀬川へと注ぎ込んでいる。
万葉集ではこれら巻向(まきむく)の景色を・・・
穴師山(あなしやま)を、
作者未詳(巻12-3126)
「巻向の 穴師の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつぞ来し」
弓月が嶽(巻向山の最高峯)を、
柿本人麻呂は((巻7-1088)
「あしひきの 山川の瀬の 響るなべに 弓月が嶽に 雲立ち渡る」
巻向の川を、
柿本人麻呂は(巻7-1101)
「ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音(かはと)高しも 嵐かも疾(と)き」
と歌っている。
そうこうしているうちに電車は「天理」に着く。
現在の日本で唯一、市名に宗教名が付けられている天理市は、言わずと知れた「天理教」の一大聖地である。
その昔、田舎の婆ちゃんが「あしきをはらい たすけたまえ てんりきょうのみこと」と手振りをして唱えていたことが思い出された。
しかし自分が聞き違えていたようで、
「悪しきを払うて 救けたまえ 天理王命」
(あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」らしく、天理教命ではなく天理王命であった。
万葉集では、
柿本人麻呂が、
「をとめらが 袖ふる山の 端垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは」(巻4-501)
「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも」(巻11-2417)
作者不詳の(巻12-3013)
「我妹子や 我(あ)を忘らすな 石上(いそのかみ) 袖布留川の 絶えむと思へや」
がある。



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