『明石海峡』(平成21年(2009)発売)
作詞:下地 亜記子、作曲:森川 龍、歌:水森 かおり
ご当地ソングの女王・水森かおりが女の情愛を切々と歌った「明石海峡」
その海峡に架かるのが「明石海峡大橋」である。
その昔、四国に渡るには、国鉄が岡山の宇野駅と香川の高松駅とを船で、11海里(21Km)を結ぶ「宇高(うこう)連絡船」であった。
運航は、宇野線が開通した明治43年(1910)に運航が開始されている。
宇高連絡船では、着岸駅である高松駅で高知行の急行列車の座席を確保するために、多くの乗客とともに、船から走ってホームに向かった記憶がある。
また連絡船では甲板で讃岐うどんが売られていた。
また車では、宇野港と高松港とを60分で結ぶ「宇高(うだか)国道フェリー」が昭和36年(1961)に運航を開始している。(平成24年(2012)に運航停止)
最盛期には24時間/68往復を運航したこともあった。
他に、「四国フェリー」や「津国汽船」も運航していた。
また神戸の須磨港から淡路島の大磯港を45分で結ぶ「淡路フェリーボート」が、昭和38年(1963)に運航を開始する。(平成10年(1998)に運航停止)
お盆や正月の帰省時には5~6時間待ちは普通で、一度、大磯港で12時間待たされたことがあった。
他に、明石港と岩屋港とを結ぶ「明石淡路フェリー」も運航していた。
京都・大阪からは須磨港のほうが、阪神高速の若宮を出てすぐの所にあり、淡路フェリーボートの方がよく利用された。
余談だが、淡路フェリーボートは、淡路島の阿那賀港から鳴門の亀浦港を20分で結ぶ航路を、昭和40年(1965)に運航開始する。(昭和60年(1985)大鳴門橋の開通とともに縮小され、平成7年(1995)に運航停止となる。)
もうひとつ和歌山港から徳島港までを結ぶ「南海フェリー」が、現在も運航をしている。
本州と四国の間に最初に架かった橋が「瀬戸大橋」で、昭和53年(1978)に着工し、9年6ケ月を経て、昭和63年(1988)に鉄道道路併用橋として開通する。
瀬戸大橋は、本州の倉敷市児島から瀬戸内海に浮かぶ島々を渡り、香川県坂出市までを10の橋で結ぶ総称で、
本州から櫃石島(ひついしじま)までの海に架かる「下津井瀬戸大橋(吊橋:1,447m)」、櫃石島を通る「櫃石島高架橋(PC橋:1,316m)」、
櫃石島から岩黒島(いわくろじま)までの海に架かる「櫃石島橋(斜張橋:792m)」、岩黒島を通る「岩黒島高架橋(PC橋:93m)、
岩黒島から羽佐島(わさしま)までの海に架かる「岩黒島橋(斜張橋:792m)」、
羽佐島から与島(よしま)までの「与島橋(トラス橋:877m)」、与島を通る「与島高架橋:(PC橋:717m)」
与島から三つ子島(みつごしま)までの海に架かる「北備讃瀬戸大橋(吊橋:1,611m)」、
三つ子島から海に架かり四国に入る「南備讃瀬戸大橋(吊橋:1,723m)」、四国に入り坂出までの「番の州高架橋:2,939m)」
の10橋が架かっている。
瀬戸大橋は、上部に4車線の道路「瀬戸中央自動車道」が、下部に複線の鉄道「本四備讃線(JR四国)」が通る2層構造となっている。
四国横断新幹線はこの橋を通過して四国に乗り入れることになっている。
「瀬戸大橋」が架かったことで、フェリーの乗船待ちをすることなく海を越えられると喜んだのだが、京都・大阪からだとこの橋までが遠いのと、開通当時の料金が片道6,300円と高いこともあって(徐々に料金は下ってゆくのだが)、明石大橋が開通してからは瀬戸大橋を渡ることは無くなったのである。
明石海峡大橋は、神戸の東舞子と淡路の岩屋とを明石海峡を横断して架けられた、全長3,911mの吊橋で、平成10年(1998)、神戸淡路鳴門自動車道の一部として開通する。
京阪神から近いこともあって、本州四国連絡橋の中では最も交通量が多い橋である。
開通時の料金は、片道2,600円であったが、現在は910円(ETC利用)となっている。
明石大橋が開通したことにより、神戸と淡路を航行していたフェリー各社は運航を停止、縮小をし、現在は明石港と岩屋の間を人と自転車飲みが乗れる「淡路ジェノバライン」が運航しているのだが、フェリー航路は総て廃止となっている。
高知に帰るときには、いつも橋を渡った先の「淡路サービスエリア」で休憩をすることにしている。
余談だが、3つ目の橋は平成18年(2006)に開通した、広島県尾道から愛媛県今治までを島づたいに通る「しまなみ海道」である。
この橋はまだ一度も通ったことがない。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の兵庫のご当地そんぐは、
『しあわせ運べるように』(平成7年(1995)神戸市歌)
作詞・作曲:白井 真、阪神淡路大震災からの復興を願った合唱曲 である。



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