オランダ館から天神坂を降りて行く途中に(徒歩2分)・・・
北野天満神社
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天満神社の由緒は、
『北野天満神社は、霊顕あらたかな学問の神様で親しまれている菅原道真公をお祀りする由緒ある神社です。
治承4年(西暦1180年)の6月、平清盛公が、京都から神戸に都を移し、「福原の都」をつくるに当って禁裡守護、鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮を勧請して祀られた古い歴史を、もっています。
この神社は神戸の北野町にふさわしく外国人の氏子も多く、世界宗教の相互理解を基本理念に、永遠の世界平和に願いをこめて、心の国際交流活動が続けられております。
なお、当地の北野町なる地名はこの北野天満神社の由縁によるものです。』
                         出典:【北野天満神社の由緒】より
とあり、260年前に造営された本殿は、透塀、拝殿、鳥居、灯籠、石段とあわせ、昭和60年(1985)に神戸市の「伝統的建造物」に指定されている。

北野天満神社からさらに1分ほど下ると・・・
風見鶏の館
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明治37年(1904))に、ドイツ人貿易商のゴットフリート・トーマスの住宅として、ドイツ人建築家の設計で建てられた西洋館で、ネオ・バロック様式の煉瓦造りの外観と屋根の上にある風見鶏が特徴で「風見鶏の館」と呼ばれる。
(ネオ・バロック様式とは、17世紀にヨーロッパ各国に広まったバロック建築様式を、新しい時代に合わせて復興したもので、曲線や楕円、豊かな装飾が特徴で、国家の権威や発揚にも合致し、左右対称で堂々とした外観、重厚な装飾が用いられる。)
神戸に現存する異人館の中で、唯一、煉瓦造りの外壁や石積みの玄関ポーチ、2階のハーフティンバー様式などが、重厚な雰囲気を醸し出している。
建物は、地階及び塔屋付の木造2階建、寄棟造のスレート葺き屋根で、地階は御影石積、1階は煉瓦造、2階は木造のハーフティンバーの外観で、東側の階段を上ったところに玄関ポーチがあり、1階に応接間・居間・食堂・書斎が、2階には夫婦の寝室・子供部屋・客用寝室・朝食の間などがある。
建物の東南隅に塔屋が設けられ、この屋根上に風見鶏が取り付けられている。

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この風見鶏は、北野異人館のシンボルとしてよく知られており、幅90センチ、高さ80センチの鉄製で、避雷針と風向きを知る役目と、雄鳥が警戒心が強いことから魔除けの意味があり、キリスト教が発展する効果もあるという。
また昭和52年から53年(1977~78)に放送された、NHKの連続テレビ小説「風見鶏」で一躍有名になり、昭和53年に重要文化財に指定されたのをきっかけに、「風見鶏の館」を神戸市が買い上げ、同年12月から一般公開がされている。

さらに風見鶏の館から1分ほど下ると・・・
萌黄の館
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風見鶏の館の西に位置し、風見鶏の館の重厚なネオ・バロック様式に対し、軽快なコロニアル様式の建物である。
(コロニアル様式とは、17~18世紀に、ヨーロッパの宗主国(植民地を支配する国)により植民地で発達した建築様式であり、本国の建築様式と現地の材料や風土が融合し、正面にポーチが、木造で板張りの壁に大きな窓やバルコニーがあり、急勾配や腰折れの屋根となっている。)
萌黄の館は、明治36年(1903)にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建てられた、木造2階建て、下見張り、寄棟造、桟瓦葺の建物で、その外観から「白い異人館」と呼ばれていたが、昭和62年の解体修理で、創建当時の萌黄色となり「萌黄の館」と呼ばれるようになる。(萌黄色とは、春先に萌え出る若葉のような黄緑色をいう。)