『道頓堀行進曲』(昭和3年(1928)発売)
作詞:日比 繁次郎、作曲:塩尻 精八、歌:内海 一郎
「赤い灯 青い灯 道頓堀の 川面にあつまる 恋の灯に なんで カフェが 忘らりょか」と歌われる道頓堀。
キタからミナミへの御堂筋歩きも、道頓堀の川面にあつまる看板を見ながら終えようと思う。
(写真は2006年の道頓堀で、今では大きく変わった所や、今もその姿を残している所がある。)
グリコのネオン
道頓堀の看板では何と言っても戎橋にある「グリコのネオン」が有名である。
写真は5代目のネオンだが、少しずつその持つ雰囲気が違っているようだ。
自分にはこの一つ前のネオンと今のこのネオンしか記憶にないが、それでも全体の雰囲気が前のものとは違っている。
どこがどうとは説明出来ないが、初代から夫々の時代によって少しずつ違ったものになっているようだ。道頓堀で最初に目に付くのがこの戎橋にある「グリコのネオン」の看板である。
初代の看板は、昭和10年(1935)から昭和18年(1943)に掛けられ33mの高さがあった。
ランナーやグリコのロゴが6色に返歌し、点滅する花模様で彩られていた。
2代目は、戦後の昭和30年(1955)から昭和38年(1963)で、22mのアーチ状のデザインとなった。
下部に舞台が設けられ演奏会や漫談などが催された。
3代目は、昭和38年(1963)から昭和47年(1972)で、高さ18m、幅8mで、中央から水が噴き出す仕掛けがなされていた。
4代目は、昭和47年(1972)から平成8年(1996)で、高さ17m、幅11mで、24年間設置され、現在のデザインの原型となった。
5代目は、平成10年(1998)から平成16年(2014)で、高さ20m、幅11mで、4,460本のネオン管が使われている。
6代目は、平成16年(2014)から現在までで、5代目のネオン管からLEDにリニュアルされたものになっている。
かに道楽のかに
その戎橋を心斎橋の方へは渡らずに東に行くと、道頓堀のネオンサインの左手に「かに道楽のカニ」の看板がある。この看板はカニの手足が動くので有名であったが、この看板が動いていたのかどうか定かではなかった。
かに道楽は昭和37年(1962)に道頓堀に店を構えるのだが、当時は知名度も低く「かに料理の店と分かるような看板をと考え、白地に赤の日の丸をイメージし、本物そっくりの動くカニを看板にしたという。
昭和43年(1968)に、浪速のモーツアルトことキダ・タローが作曲した「とーれとれ、ぴーちぴち、カニ料理」のCMソングで一躍その名が知られるようになる。
「ぴんとハサミを打ちふり上げて 活きのいいのが気にいった 獲れ獲れぴちぴち かに料理 味で夢よぶ 味で人よぶ かに道楽は 同じのれんの味つづき」
「かにはかにでも日本海(にっぽんかい)の 海にもまれた本場の味だ 獲れ獲れぴちぴち かに料理 味で夢よぶ かにの網元 かに道楽は 同じのれんの味つづき」
「一度通えばうまさのとりこ 磯の香りや蝦夷(えぞ)の茶屋 獲れ獲れぴちぴち かに料理 味で夢よぶ 味で人呼ぶ かに道楽は 同じのれんの味つづき」
と3番まで歌詞があるとはしらなかった。
昭和46年(1971)にグラスファイバー製の2代目の看板となり、平成8年(1996)ビルが建て替えられたときに、現在の3代目の看板に架け替えられた。
戎橋
道頓堀川が開削された時に架けられ、道頓堀の橋といえば戎橋。
『戎橋を南に渡ればその賑やかなこと・・・
元和元年(1615)、道頓堀川の開削により橋は架けられ四百年もの長きにわたって、大阪の賑わいを見守り続けてきた。
その名は、今宮胡の参道であったことに由来する。
十日戎には、商売繁盛を祈願する参詣人が列をなし、宝恵駕(ほえかご)がなにわの初春を彩る。
宝恵駕に雪がちらつく戎橋 よしの
橋の歴史や街の賑わいを絶えることなく、今日まで守り伝えたのは、ミナミの町衆である。
水都の夏の風物詩、役者集の船乗り込み。
かつて天下随一の芝居町であった道頓堀の姿に思いをはせる。
人は、この橋を訪れるとき、街にうまれた文化に触れ、大阪のやさしさにつつまれる。
友だちはよいものと知る戎橋 松府
今ここに、橋は新たにうまれかわる。
姿かたちはかわろうとも、ゆきかう人から人へ、過去から未来へはしわたす。
なにわびとの魂は、とこしえにかわることはない。
大阪はよいところなり橋の雨 松府』
出典:【戎橋銘文】より
と銘文に記ざれているが、9月7日に阪神タイガースが史上最速で優勝したのだが、この橋はタイガースファンで埋め尽くされ、29人が橋から道頓堀川に飛び込んだのが確認されたという。



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