道頓堀にあった芝居小屋で唯一、今に残っているのが「大阪松竹座」である。

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大阪松竹座は、大正12年(1923)、松竹の創業者・白井松次郎により、ネオ・ルネッサンス様式の正面玄関が特徴的な、日本初の鉄筋コンクリート造の映画館として造られる。
「民衆芸術の第一殿堂たる純欧風劇場」というふれ込みで、松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)や歌舞伎、新劇、新派の公演、など、舞台と映画の上映を組み合わせた興行が評判となり、日本を代表する文化の殿堂として栄えた。
道頓堀五座は大阪大空襲で灰燼に帰したが、大阪松竹座は難を逃れ、昭和20年(」1945)8月には映画興行を再開する。
戦後は映画館として興業を続けたが、平成6年(1994)5月に建替え工事をすることになる。
「道頓堀の凱旋門」と呼ばれる正面玄関をそのまま保存し、平成9年(1997)3月に、歌舞伎、現代劇、喜劇などの講演やミュージカル、コンサートなども上演する劇場として新築再開場をする。
令和5年(2023)に、大阪松竹座は開場 100周年を迎えたのだが、先日、建物の老朽化のため来年(2026年)5月の公演をもって閉館することが発表された。

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令和7年(2025)9月15日の京都新聞「凡語」に、大阪松竹座の記事が載っていたので紹介をする。
『25年前に、法善寺横丁の喫茶店で出番を控えた俳優が、一人で静かにコーヒーを飲む光景を見かけた。
その頃、400年続く芝居街は「道頓堀五座」で唯一残っていた中座が閉館し、大正期に乗り込んだ松竹座だけとなったが、界隈は芝居の匂いが染みついていた。
アーチ型の外観が「凱旋門」と称された劇場は、映画の上映と松竹楽劇部(現OSK)のレビューが興業の柱だった。
後に「ブギの女王」となる笠置シヅ子が初舞台を踏み、歌舞伎や喜劇、現代劇の名優が芸を競った。
上方芸能のとりでを守ってきた「道頓堀の顔」が、老朽化で閉館するという。
コロナ禍以降、舞台で人を集めるのは一段と厳しい。芝居好きの吐息は深まる。
(中略)
折しも、芸の道に生きる歌舞伎役者の映画「国宝」が大ヒットし、若者の伝統芸能への感心が高まっている。奈落から花道へ。
「国の宝」の行く末を開くには、新しい力が欠かせない。』
                           出典:【京都新聞 凡語】より