『夫婦善哉』(昭和62年(1987)発売)
作詞:吉岡 治、作曲:弦 哲也、歌:石川 さゆり
「なにもなくても こころは錦 ついてゆきます 夫婦善哉/寒い夜には 相合い酒で 浮世七坂 夫婦善哉/旅は道づれ 夫婦は情け なにがあっても 夫婦善哉」と歌われる。

01法善寺mid
水掛不動の横に店を構えるのが「夫婦善哉」、この店は、明治16年(1883)に、文楽大夫の竹本琴太夫こと木文字重兵衛が副業で始めた善哉屋の「お福」が始まりで、沢山入っているように見せようと、一人前なのに二杯のお椀に分けて善哉を出したことから、「夫婦善哉(めをぜんざい)」と評判を呼ぶようになる。
さらに織田作之助の「夫婦善哉」や森繁久彌、淡島千景主演の映画により一躍有名となり、法善寺で今なお商売を続けているのである。
夫婦善哉の由来は、
『夫婦善哉の由来は、明治十六年、浄瑠璃語りの竹本琴太夫こと「木文字重兵衛」が副業ではじめたぜんざい屋の「お福」がはじまりです。
おたやん(お多福)の「お福」のまねき人形を据え、一人前を夫婦にたとえお盆に仲良くお椀二杯に分けて提供することで商売繁盛し「めをとぜんざい」で通るようになりました。
昭和十五年、「東の太宰、西の織田」と謳われた文豪、織田作之助の小説「夫婦善哉」に登場し、森繁久彌主演で映画化され全国的に一躍有名になりました。
夫婦善哉は、夫婦円満善哉。商売繁盛善哉。縁結び善哉。良縁来たる善哉として昔より縁起物として評判であります。
最高級小豆の代名詞、丹波大納言小豆を使い、じっくり丁寧に仕込みました。
お口直しに道南産塩昆布もお付けしております。昔懐かしい法善寺横丁 の風情そのままの
大阪の味をご賞味くださいませ。』とある。
                          出典:【夫婦善哉の由来】より
02夫婦善哉mid
織田之助の「夫婦善哉」は、大正から昭和初期にかけての大阪を舞台に、しっかり者の芸者・蝶子と、化粧品問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの柳吉が駆け落ちし、次々と商売をしては失敗し、喧嘩しながらも別れることなく一緒に苦労して生きていく物語で、法善寺横丁の「めをとぜんざい」で、ふたりで仲良く善哉をすするラストシーンがあり、
『柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまい もん食 いに行こか」と蝶子を誘った。
法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行 った。
道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。
おまけに、ぜんざいを註文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二 杯ずつ持って来た。
碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。
「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫(ふうふ)の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突 き上げると肩が大きく揺れた。』とある。

03善哉mid
善哉」の暖簾は、創業者の木文字重兵衛が亡くなると娘の「かめ」が営業を続けていたが、昭和19年(1944)太平洋戦争での建物強制疎開により閉店となる。
昭和21年(1953)に、縁があった料亭の主人が戎橋南詰に再開をする。
昭和28年(1953)に、演出家の平井正一郎氏が法善寺表門前の阪町(千日前一丁目付近)で営業する。
その後、昭和33年(1958)に、料理屋「みどり」が暖簾を引き継ぎ、現在の法善寺境内に移転をする。
昭和39年(1964)に、「すし半」が暖簾を取得し、現在は関連のサトフードサービスが運営しており、「夫婦善哉」の名で「和食さと」でも提供されている。