『大阪ぐらし』(昭和39年(1964)発売)
作詞:石浜 恒夫、作曲:大野 正雄、歌:フランク永井

01句碑mid
月の法善寺横町の歌碑がある斜め向い、正弁丹吾亭があった店の前にあるのが、織田作之助の句碑。
「行き暮れて ここが思案の 善哉(よしや)かな」
(人生に行き詰ったり、困難に直面したが、ここらで立ち止まり思案六法、やはり夫婦は善き哉な、善き哉な)
碑文には、
『小説家織田作之助は、大正2年10月、生国魂神社の近くで生れた。
彼は郷土大阪をこよなく愛し、終生大阪を離れず、出世作「夫婦善哉」を始め、大阪の市井人情を画いた名作を多く残したが、昭和22年1月、讀賣新聞に「土曜夫人」を連載中、胸患のため惜しくも34歳の若さで世を去った。
その命日が十日戎の日に当るのも彼らしいと言うべきか。』
                        出典:【織田作之助句碑の碑文】より

02正弁丹吾亭mid
明治26年(1893)に、関東煮の店として創業し、正弁丹吾亭の名は、店の横で小便をする酔っ払いのために、担桶を置いたというのが店名の由来だという。
その名の通り、正(ただ)しく、弁(わきま)え、丹(まごころ)ある、吾(われ)の亭(みせ)とのモットーで店を切り盛りしたという。
織田作之助の「夫婦善哉」では、柳吉が蝶子に正弁丹吾亭の関東煮を食べさせ「ど、ど、ど、どや、うまいやろが。こんなうまいもんどこィ行ったかて食べられへんぜ」と、自慢気に講釈を述べる下りがある。
平成14年の中座からの火事で全焼し、平成15年(2003)に、同じ場所で再開をするのだが、後継者問題などで平成26年(2014)に、「がんこフードサービス」に店を引継ぎ、令和4年(2022)長い歴史に幕を降ろしたのである。(その跡は焼肉屋となっている)

03花月跡mid
法善寺横丁の東側入口(桂春団治の看板が掛かる側)からすぐに、「花月跡(金沢亭跡)」の碑がある。
法善寺横丁には、南側に桂派の「南地金沢亭」、北側に浪花三友派の「紅梅亭」という二つの寄席があった。
その後、「金沢亭」は吉本興業創始者の吉本泰三・せい夫妻によって買収され、「南地花月」となり、落語だけでなく漫才や奇術等色物も多く演じられるようになる。
 織田作之助の『夫婦善哉』には「仲良く腹がふくれてから、法善寺の花月へ春団治の落語を聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合ってる手が汗をかいたりした。」と柳吉と蝶子の逢引きの場面として登場する。
しかしながら太平洋戦争の中、昭和19年、建物疎開の指定を受け取り壊されてしまうのである。
石碑には、
『懐かしおます この横丁で おもろい噺 五拾銭也 此処は花月の 落語席あと』
と刻まれている。

04歌碑mid
水掛不動から塀之側筋に出るところにある小さな石碑に、石濱恒夫が作詞した「大阪ぐらし」の歌詞が刻まれている。
石碑には、
「がたろ横丁で 行き暮れ泣いて ここが思案の合縁奇縁 おなごなりゃこそ 願かけまする 恋の思案の 法善寺」と刻まれている。
小さい石碑なので気を付けなければ見逃してしまう・・・