『月の法善寺横町』(昭和35年(1960)発売)
作詞:十二村 哲(とにむら てつ)、作曲:飯田 景応(けいおう)、歌:藤島 恒夫(たけお)

01法善寺横丁mid
「さいなら こいさん しばしの別れ あゝ 夫婦善哉 想い出横町法善寺 名残りつきない 燈がうるむ」と歌われる「法善寺横丁」。
法善寺が知られるようになったのは、明治の終わり頃からで、道頓堀に歌舞伎や文楽の小屋が並び、そこに向かう人や法善寺参拝の人の為に、法善寺の境内に茶店や屋台、露店の店が出来たのが横丁の始まりで、「法善寺裏」「法善寺路地」と呼ばれていた。
法善寺横丁が知られるようになったのは、昭和15年(1940)に織田作之助の「夫婦善哉」や長谷川幸延の「法善寺横町」などの小説や映画などに紹介されたことにより、広く知られるようになる。

02春団治mid
水掛不動の北側にある法善寺横丁の東と西の入口には「法善寺横丁」の看板が掛かっている。
昭和60年(1985)に看板が架け替えられることになり、当時中座に出ていた芸人で東側の看板を、横丁ビルの1階にある「洋酒の店 路」の常連であった落語家の三代目桂春団治に依頼する。

03寛美mid
中座の入口の方にある西側の看板を、松竹新喜劇の藤山寛美書いてもらうことにした。
この寛美の書いた法善寺横丁の「善」の文字が横棒の一画が抜けているのである。
これは寛美が書き間違えたのではなく「自分は一本抜けた人間やから」と言ったという。
平成14年(2002)の中座解体工事中のガス爆発での火災や平成15年(2003)の店舗の失火による火災にも焼けずに残り、当時の心意気を今に伝えている。

東西の看板の裏面には、
『平成14年9月、平成15年4月と二度の法善寺横丁火災に際して、御厚志をお寄せ戴いた多くの方々に、心より御礼を申しあげます。
義援金と見舞金は次のように使わせて頂きました。
一、被災者への見舞金
一、町並景観の復旧
一、災害防止の新設備
一、安全管理と誘導
一、設計管理   その他  以上
平成16年8月吉日 法善寺会一同』と火災に対しての謝辞が書かれている。

04歌碑mid
法善寺横丁の西側入口(藤山寛美の看板が掛かる側)からすぐに、「月の法善寺横町」の歌碑がある。
実際の地名は「法善寺横丁」なのだが、歌の題名は「法善寺横町」となっている。
若い板前とこいさんの恋心を歌った歌なのだが、ここでいう「こいさん」とは・・・
商家の三姉妹のことを、
長女:いとさん/次女:なかんちゃん/三女:こいさんと呼び、大阪の船場で使われていた言葉であったのだが、今では死語となりつつある。
いとさん:しっかり者 なかんちゃん:我が道をゆく こいさん:我がまま というイメジが強いのだが・・・

歌碑の側面には、
『藤島桓夫略歴
昭和二年、大阪市に生れる。
昭和二十年、旧制大鉄工業学校(現、阪南大学高等学校)卒業、大阪中央電話局入社。
昭和二十五年、歌手デビュー「初めて来た港」「お月さん今晩は」など、ヒット曲続く。
昭和三十五年、「月の法善寺横町」一世を風靡する。
平成四年、日本レコード大賞「功労賞」受賞。
平成六年二月没、四月勲四等瑞宝章受賞。』
                      出典:【月の法善寺横町碑側面碑文】より